■ 会計的多神教を信仰するには覚悟が必要である!
前回、会計の世界には、「一神教」= 制度会計数値のみが真に企業業績を表す数字である、「多神教」=使用目的に応じて会社内に異なる定義の会計数値が並立してもよい、という宗教的対立があることを説明し、特に前者の「一神教」信者の心の内を解説しました。
⇒「制管一致について(3)会計の世界における「一神教」と「多神教」の違いとは!?」
では真打ち登場!? 筆者が信仰する会計的「多神教」の解説に入りたいと思います。やはり、「多神教」もいろいろな流派に分かれています。
(1)イデア論的多神教
(2)プラグマティック的多神教
このどちらの信者になろうとも、共通して覚悟すべきことがあります。それは、制度会計と管理会計の数字の不一致、または、会社内にある複数の管理会計ルール間の数字の不一致に毅然として対処する覚悟です。言い換えると、相手の神様の存在を許容する寛容の心を持つことです。覚悟の程と寛容の心の広さが、上記の(1)と(2)の違いでもあるのですが、、、(^^:)
会計的多神教を信仰するものは、会社内に複数の会計数字が存在することを許容するところから仕事が始まります。金商法、会社法、税法にはそれぞれのルールに従った制度会計数字、採用する会計基準(日本基準、SEC基準、IFRS等)ごとに異なる公表用決算数値、製品別収益性分析用のP/Lや、組織業績評価用のカンパニー別P/Lなど、会社経営が複雑に、かつ高度になればなるほど、いろいろな基準に基づく管理数値が並立します。まずこの混沌たる世界で自己を見失わないように厳しく自分を律する必要があります。
■ イデア論的多神教の特徴とは?
この流派は、概念的に「正しい企業業績というものは必ず存在する。それを表現する会計数値はその時々によって違う顔を会計担当者に見せてくるものだ」と考えます。それゆえ、この流派に特徴的な思考パターンが2つあります。
① 制管差、管管差といったルールの異なる会計数値間の差異は、必ず説明可能なものであるべき
② 最終的には、外部公表数字である制度決算で表される企業業績を向上させるために管理会計の数字が存在する
例えば、制度会計は法人単位や連結単位での会計報告になります。また、段階利益は法定のモノになります。一方で、管理会計では、会計報告単位が組織やセグメントといった法定単位とは相反することが多く、段階利益も「限界利益」「貢献利益」等、独自ルールに基づく定義になりがちです。単位については、法人の一部を構成する組織同士を連結して業績を管理しようとする(いわゆるカンパニー制度)場合、制度会計上では認識しない内部取引や社内資本金制度を構成する必要が出てきます。段階利益については、P/L計算スキームにとどまらず、機会コストまでもカバーしようとする(いわゆる資本コスト)場合、制度会計ルールを逸脱した会計取引を認識しなければなりません。
この流派のモットーは、制管差は説明されねばならない、最後は制度会計の数字をよくするために管理会計の数字がある、というビリーフに基づくものであるため、上記のような管理会計特有の計算による会計情報だけを除外して、制度会計情報のみを取り出せることが必要になります。それが、制管差を説明できる唯一の方法です。つまり、ワンデータベースに、二種類の仕訳情報(制度会計仕訳+管理会計仕訳)が収まっており、制度会計仕訳のみ取り出せば、外部公表数字になり、管理会計仕訳の存在が、制管差を説明する証拠である、という位置づけになります。
■ プラグマティック論的多神教の特徴とは?
この流派は、「違う管理目的には、最も相応しい管理数字を使用すべきである。数字自体の正しさという概念より、管理目的を達成する道具性を備えているかが数値が持つべき最も重要な性質である」というビリーフを持っています。それゆえ、この流派に特徴的な思考パターンが2つあります。
① 制管差、管管差は説明されるに越したことがないが、それができないからといって、管理数値の有効性が損なわれることはない
② 外部公表用数字も企業が管理すべき数字のひとつに過ぎず、企業経営の目的とする会計数値が複数種類存在することを認める
ちなみに、筆者は、この「プラグマティック論的多神教」の信者です。
例えば、企業業績を示す「利益」について、期間損益計算構造に加えて異なるコスト概念を添加することも厭いません。それが、調達資本コスト分として社内金利がかけられたり、現金支出費用の資金回収期間をコスト金額に過重させたりして計算される利益概念を平気で使用するということです。そして、そういった管理会計実務の作業負荷を軽減させるべく、制管差を保証する検証メカニズムの実装にはあえて目をつむります。つまり、制度会計情報が収まるデータベースと、管理会計情報が収まるデータベースを2つ独立して持つ、ということです。異なる思想・目的で構築されたデータベース間のデータ整合性はそもそも追求しません。そんな労力があったら、管理会計数字の分析に優先的に割き、データ整合性を担保するプログラムを実装するより、より管理目的に適したアルゴリズムで管理数字を出すための努力を優先します。
■ プラグマティック論的多神教は制度会計を軽んじているのか?
いいえ、決してそうではありません。制度会計ルールにしたがった会計数値をよくするためには、あえて制度会計ルールに準拠しない管理会計ルールに準拠した管理数値をコントロールするだけで、結果として必ず制度会計上の業績も向上する、と考えているのです。
例えば、直接原価計算による期間損益の計算問題があります。初学者から中級者は、直接原価という管理会計数値で業績コントロールして、決算用に「固変分解」計算ロジックを施して、全部原価計算ベースの公表用決算数字を算出すればよい、と単純に考えます。そして、管理会計システムのロジックをいたずらに複雑にします。期中の業績管理は直接原価で行い、上手く事業を運転したつもりでいたものが、「固変分解」を逆回しして決算数字を算出した瞬間に、思わず低評価の数字が出てしまって困惑するケースも発生すると思います。結果として、直接原価での期中管理が本当に有効だったかについて悩み始めることになります。
そういう場合は、管理目的に立ち戻るべきです。そもそも、どういう趣旨で期中は直接原価で業績コントロールをしようとしたのでしょうか? 膨大な金額にのぼる固定費、それもキャパシティコストやコミテッドコストが棚卸計算に基づき、期末棚卸資産に計上されて、キャッシュアウトがあったにもかかわらず、将来の追加コスト発生を回避もできない金額を在庫としてカウントすることに、中長期の企業成長をみるための業績評価指標として相応しくないと考えて、直接原価を採用したはずです。イノベーティブな企業ならば、多額にのぼるR&Dコスト、高い生産性で勝負する企業ならば、多額にのぼる設備投資の確実な回収計算や、投資意思決定のタイミングをまちがわないための直接原価計算の採用だったのでは???
■ 制管差はどこまで説明されねばならないか?
筆者は、管理会計制度のみならず、管理会計システムの実装もお手伝いするコンサルタントを生業としています。したがって、IT的な視点も持ち合わせているつもりですが、「ビタ1円(あえてこのような誤用で表現しています)合わないといけない管理会計システムはつくるつもりはない」というのが個人的なビリーフです。当然、制管一致でシステム構築を依頼される場合もあるので、それは、その趣旨をきちんとクライアントに確認したうえで、それでも、どうしても制管一致のシステムを構築してほしいという意志を確認してから、制度設計に入ります。
例えば、管理粒度が細かい製品別収支計算システム、法人の枠を超えた単位の組織業績管理システム、制度連結システムの3つの構築を依頼されたとします。
その場合、
① 製品別収支計算レポートを見ながら、短期間のセールスミックス、プロダクトミックス、顧客選別の意思決定を支援する
② 上記①の短期的意思決定が、業績管理単位組織別の業績(収益性や資金的な安全性など)を想定通りに向上させているか確認し、想定外の事象が起こっている場合は、上記①の意思決定の適切性の再検証を行う
③ 上記②の業績管理単位ごとの業績改善が制度連結数値に思ったように反映されているかを確認する
という手順で管理会計制度を構築し、それぞれの検証や要因分析ができるデータを保持できるようにシステム設計を行います。システム間のデータ整合性を担保することに執着はしません。もし、①と②と③の間で、業績良否の結果指標の方向が真逆で表示されている場合は、システムの仕様がおかしいか、そもそもこの3つのシステムを順に活用した管理会計のプロセスが間違っているのです。
会社業績を改善させるストーリーと、会社業績を改善させるためのコントロールレバーの値がきちんと表示されているかを検証する方にもっと力を注ぐべきです。それは、単純にシステム間のデータ整合性を担保する以上に困難ですが、業績改善には最も有効な方法なのです。
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