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■ あなたは、どっちの会計の神様を信じますか?

コンサルタントのつぶやき_アイキャッチ

ようやく「制管一致(財管一致)」の本質に触れる入口に辿り着きました。ところで、あなたが信じる神は、「一神教」における神ですか、それとも「多神教」における神ですか? 人類史上、「多神教」が先に生み出され、その後に「一神教」が発明されました。歴史的には「多神教」の方が先輩にあたります。日本は古来から「八百万神(やおよろずのかみ)」といって、自然のもの全てには神が宿っていることが前提として考えられており、米粒の神様やトイレの神様も並立して存在が許されています。朝鮮半島から仏教が伝来しても、仏様は、神様の1つとして古代日本社会に受け入れられました。なんとも懐が大きい民族・社会ではありませんか。

筆者は会計に出会ってから四半世紀以上経っていますが、その会計遍歴の中でようやく「会計の神」は多神教としての神であるという心境に到達することができました。それに至るまでのお話をひとつ。

筆者が考える会計の世界における「一神教」とは、「制度会計の数字のみが信じるべき正しい会計数字である」という信念であり、「多神教」とは、「目的に応じて会社内に異なる定義の会計数値が並立してもよい」という信念を意味します。そして、筆者は後者の「多神教」の信者、ということになります。あなたは、会計の世界では「一神教」の信者ですか? それとも「多神教」の信者ですか? 「信じるものは救われる」ではないですが、この「信念(ビリーフ:belief)」は、何が正しいかを論じるものではなく、何が正しいと信じるかを論じるものです。

 

■ 一神教を信じるあなたの心理の内を推測します 「唯物的一神教」とは?

では、「一神教」を信じる人たちの心理の内を探っていきます。筆者は、この教義も2つの流派に分かれていると観察しています。

(1)唯物論的一神教
(2)唯心論的一神教

(1)「唯物論的一神教」とは?

この世に「制度会計」以外に、会社業績を正確に表現する絶対的真理となる会計数値は存在しないと考えるビリーフです。それは、そもそも株式会社の仕組みの発展に寄与した「企業会計」がこの世に誕生した理由に最も忠実に組み立てられた考え方でもあります。そもそも、企業会計は、資本主(出資者=現代では株主と言った方が通りが良い)から、お金を預かって代理として事業運営することで利殖を手伝った経営者の経営責任を資本主に説明するために誕生しました。いわゆる経営執行者の資本主に対する「説明責任=会計責任=accountability」を全うするための数値を正確に報告するためのルールが制度会計で、制度会計ルールに従って株主に報告される制度会計数値のみが、唯一の企業業績を正しく表現している会計数値と考えるのです。

(参考)
⇒「会計の歴史
⇒「会計を報告するとは

これは、2016年のノーベル経済学賞を獲った「契約理論」にも通じるものがあります。

● プリンシパル=エージェント理論
「プリンシパル」自らの利益のための労務の実施を、他の行為主体に委任する人
「エージェント」プリンシパルの利益のために自らの労務の実施を行うことを受任する人
「エージェンシー問題」エージェントが、プリンシパルの利益のために委任されているにもかかわらず、プリンシパルの利益に反してエージェント自身の利益を優先した行動をとってしまうこと
「エージェンシー・スラック」プリンシパル=エージェント関係において、エージェントが誠実に職務を遂行しているか否かを逐一監視するためにプリンシパルが多大な労力を払わねばならず、このエージェンシー・スラックによる利潤減少やエージェンシー・スラックを防止するための監視コストなどのエージェンシー費用がかさんでしまうこと

これがコーポレートガバナンスの最大の争点であり、株主と経営者間の利害調整のために、企業業績を示す儲けはどれくらいで、分配可能な財産はどれくらい現存するか、を唯一の計算ルールで示したものが「企業会計=制度会計」というわけです。

それゆえ、株主と経営者が予め、ひとつのモノサシで企業業績を測定することを約束し、株主には配当金を、経営者には経営者報酬を、制度会計が示す企業業績結果数値から、公正に分配する納得性を高めるために、用いられるのが「制度会計」であり、これ以外の会計数値の存在は許されない、と考えるのが「唯物論的一神教」なのです。

■ もうひとつの一神教、「唯心的一神教」を信じたくなる本音とは?

(2)「唯心論的一神教」が誕生した理由とは?

量子力学の世界では、科学者が観察する行為自体が、自然現象に影響を及ぼし、客観的にありのままの自然状態を人間が観察することもできないことが議論され証明もされています。もう少し、こなれた話として「シュレーディンガーの猫」の事例でも有名です。いわゆる「観測問題」というやつです。

「唯心的一神教」の信者は、「企業業績を測定するのは所詮人間である。人間が観察・計測する会計数値は、観察者・計測者の主観や操作、バイアス、時には利害関係が邪魔をして、正確な企業業績を示す可能性はとても低くなる。だから、企業外部から与えられた強制的なルールで企業業績を測定することが正しい営みである」というビリーフを持っています。

会計報告、ディスクローズする経営者が意図的に公表用数字(決算数値)を改ざんや粉飾、ごまかしをして、自己の経営者報酬を少しでも高めようとする不正が絶えないことを、この教義の信者の信心をより一層強固なものとしています。

(参考)
⇒「不適切会計の手段 -キーメトリクスのトリック(1)企業財務分析者が気にすべき財務指標について
⇒「不適切会計の手段 -キーメトリクスのトリック(4)経営成績を過大表示する指標の提示 - 利益とキャッシュフローの代替指標によるごまかし

管理会計の担当者が、限界利益や残余利益系の利益指標を持ち出して、企業業績を語る時、この信者は、必ず次のように語ります。

「限界利益は、固定費の回収計算が完了していない、不完全な利益指標だ。これでは、本当に儲かっているのかどうか不明である」

「残余利益(経済的利益:EP)の計算の正しさ・客観性は証明されていない。資本コストや割引率の想定は、報告者の利益のために歪められたものではないのか」

そして運の悪いことに、管理会計の計算ロジックの素晴らしさに自己陶酔する担当者が後を絶たないため、自分以外の他人が理解することのできない複雑な計算過程を編み出して管理会計数値を報告することで、他人から不正疑惑の目を向けられたり、しまいには、自己でも計算の再現性を証明できないケースも発生しがちになります。そして、ますます「唯心論的一神教」信者から、管理会計数値の信憑性を疑われる羽目になります。

 

■ 全ての一神教信者に問う。「のれん」は償却すべきか?

ここまでの説明をお読みいただき、一神教信者に趣旨替えをしたくなる人はいらっしゃいましたでしょうか? また、一神教を信じていてよかったと安堵していらっしゃる人はどれくらいでしょうか?

そういう人たちに、ひとつ質問をぶつけたいと思います。

「のれんは償却すべきか?」

このブログ記事を書いている現在時点で、日本基準では「のれん」は償却対象ですが、IFRSでは償却不要です。あなたの信じる「一神教」は唯一なのですよね。では、日本基準かIFRSのどちらかが偽神ということになります。

筆者はドメスティックな人間で、世界の情勢に疎いのですが、中東近辺では未だに宗教的対立で命を落とす人たちがいます。ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は全て一神教で、信じる神は全て同一な存在である、という事実をご存知でしたでしょうか? そして自分たちの信仰が唯一で、自分たちの信仰心が正しく、自分たちの信心から得られる神の定義のみが正しいというビリーフに基づき行動しています。

すなわち、そこで争われていることは、宗教に疎い日本人には誤解が多きところでもあります。

「どっちの神が絶対神で、どっちの神の存在が正しいか」を争っているのではなく、
「唯一の絶対神を信仰する信者として、どっちの信者が正しい信仰を行っているか」を争っているのです。

この構図は、会計の世界で一神教を信仰している会計実務家、会計学者に等しく適用されます。

「のれんを償却する方法が正しい信仰を表すのか、それとも償却しない方法が正しい信仰なのか?」

昨今、日本企業で、次々とIFRSに移行する企業が増えています。その理由の一つが、「IFRSを採用すると、「のれん」を償却せずに済むので、期間利益を大きく見せることができる」です。また、「IFRS採用の同業他社と、日本基準の自社では「のれん」償却の有無の分だけ、問答無用に公表用財務諸表上の利益水準が不利になるので、投資家から正当に評価してもらうために、IFRSに移行せざるを得ない」という意見も耳にします。

ある意味、宗教音痴の日本人らしいですね。自分にとって都合の良い神(ここではIFRS)を信仰することに決める思考回路であって、自分にとって正しい神の信仰を選ぶわけではないのです。(^^;)

筆者が会計を一学徒として学び始めてすぐ、「相対的真実」という会計用語に出会いました。何が絶対的に正しいかを問うのではなく、目的に応じた会計数字をどうやって正しく導くかを問う方が、企業会計を学ぶ姿勢としてよりましなのではないか、そう感じた瞬間でした。そして、「多神教者」としての筆者が誕生したのです。

次回は、会計の多神教の流派について説明を続けたいと思います。

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制管一致について(3)会計の世界における「一神教」と「多神教」の違いとは!?http://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e4.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e4-150x150.jpg小林 友昭所感IFRS,のれん,エージェンシー・スラック,エージェンシー問題,エージェント,コーポレートガバナンス,シュレーディンガーの猫,プリンシパル,一神教,制管一致,割引率,多神教,残余利益,相対的真実,観測問題,財管一致,資本コスト,限界利益■ あなたは、どっちの会計の神様を信じますか? ようやく「制管一致(財管一致)」の本質に触れる入口に辿り着きました。ところで、あなたが信じる神は、「一神教」における神ですか、それとも「多神教」における神ですか? 人類史上、「多神教」が先に生み出され、その後に「一神教」が発明されました。歴史的には「多神教」の方が先輩にあたります。日本は古来から「八百万神(やおよろずのかみ)」といって、自然のもの全てには神が宿っていることが前提として考えられており、米粒の神様やトイレの神様も並立して存在が許されています。朝鮮半島から仏教が伝来しても、仏様は、神様の1つとして古代日本社会に受け入れられました。なんとも懐が大きい民族・社会ではありませんか。 筆者は会計に出会ってから四半世紀以上経っていますが、その会計遍歴の中でようやく「会計の神」は多神教としての神であるという心境に到達することができました。それに至るまでのお話をひとつ。 筆者が考える会計の世界における「一神教」とは、「制度会計の数字のみが信じるべき正しい会計数字である」という信念であり、「多神教」とは、「目的に応じて会社内に異なる定義の会計数値が並立してもよい」という信念を意味します。そして、筆者は後者の「多神教」の信者、ということになります。あなたは、会計の世界では「一神教」の信者ですか? それとも「多神教」の信者ですか? 「信じるものは救われる」ではないですが、この「信念(ビリーフ:belief)」は、何が正しいかを論じるものではなく、何が正しいと信じるかを論じるものです。   ■ 一神教を信じるあなたの心理の内を推測します 「唯物的一神教」とは? では、「一神教」を信じる人たちの心理の内を探っていきます。筆者は、この教義も2つの流派に分かれていると観察しています。 (1)唯物論的一神教 (2)唯心論的一神教 (1)「唯物論的一神教」とは? この世に「制度会計」以外に、会社業績を正確に表現する絶対的真理となる会計数値は存在しないと考えるビリーフです。それは、そもそも株式会社の仕組みの発展に寄与した「企業会計」がこの世に誕生した理由に最も忠実に組み立てられた考え方でもあります。そもそも、企業会計は、資本主(出資者=現代では株主と言った方が通りが良い)から、お金を預かって代理として事業運営することで利殖を手伝った経営者の経営責任を資本主に説明するために誕生しました。いわゆる経営執行者の資本主に対する「説明責任=会計責任=accountability」を全うするための数値を正確に報告するためのルールが制度会計で、制度会計ルールに従って株主に報告される制度会計数値のみが、唯一の企業業績を正しく表現している会計数値と考えるのです。 (参考) ⇒「会計の歴史」 ⇒「会計を報告するとは」 これは、2016年のノーベル経済学賞を獲った「契約理論」にも通じるものがあります。 ● プリンシパル=エージェント理論 「プリンシパル」自らの利益のための労務の実施を、他の行為主体に委任する人 「エージェント」プリンシパルの利益のために自らの労務の実施を行うことを受任する人 「エージェンシー問題」エージェントが、プリンシパルの利益のために委任されているにもかかわらず、プリンシパルの利益に反してエージェント自身の利益を優先した行動をとってしまうこと 「エージェンシー・スラック」プリンシパル=エージェント関係において、エージェントが誠実に職務を遂行しているか否かを逐一監視するためにプリンシパルが多大な労力を払わねばならず、このエージェンシー・スラックによる利潤減少やエージェンシー・スラックを防止するための監視コストなどのエージェンシー費用がかさんでしまうこと これがコーポレートガバナンスの最大の争点であり、株主と経営者間の利害調整のために、企業業績を示す儲けはどれくらいで、分配可能な財産はどれくらい現存するか、を唯一の計算ルールで示したものが「企業会計=制度会計」というわけです。 それゆえ、株主と経営者が予め、ひとつのモノサシで企業業績を測定することを約束し、株主には配当金を、経営者には経営者報酬を、制度会計が示す企業業績結果数値から、公正に分配する納得性を高めるために、用いられるのが「制度会計」であり、これ以外の会計数値の存在は許されない、と考えるのが「唯物論的一神教」なのです。 ■ もうひとつの一神教、「唯心的一神教」を信じたくなる本音とは? (2)「唯心論的一神教」が誕生した理由とは? 量子力学の世界では、科学者が観察する行為自体が、自然現象に影響を及ぼし、客観的にありのままの自然状態を人間が観察することもできないことが議論され証明もされています。もう少し、こなれた話として「シュレーディンガーの猫」の事例でも有名です。いわゆる「観測問題」というやつです。 「唯心的一神教」の信者は、「企業業績を測定するのは所詮人間である。人間が観察・計測する会計数値は、観察者・計測者の主観や操作、バイアス、時には利害関係が邪魔をして、正確な企業業績を示す可能性はとても低くなる。だから、企業外部から与えられた強制的なルールで企業業績を測定することが正しい営みである」というビリーフを持っています。 会計報告、ディスクローズする経営者が意図的に公表用数字(決算数値)を改ざんや粉飾、ごまかしをして、自己の経営者報酬を少しでも高めようとする不正が絶えないことを、この教義の信者の信心をより一層強固なものとしています。 (参考) ⇒「不適切会計の手段 -キーメトリクスのトリック(1)企業財務分析者が気にすべき財務指標について」 ⇒「不適切会計の手段 -キーメトリクスのトリック(4)経営成績を過大表示する指標の提示 - 利益とキャッシュフローの代替指標によるごまかし」 管理会計の担当者が、限界利益や残余利益系の利益指標を持ち出して、企業業績を語る時、この信者は、必ず次のように語ります。 「限界利益は、固定費の回収計算が完了していない、不完全な利益指標だ。これでは、本当に儲かっているのかどうか不明である」 「残余利益(経済的利益:EP)の計算の正しさ・客観性は証明されていない。資本コストや割引率の想定は、報告者の利益のために歪められたものではないのか」 そして運の悪いことに、管理会計の計算ロジックの素晴らしさに自己陶酔する担当者が後を絶たないため、自分以外の他人が理解することのできない複雑な計算過程を編み出して管理会計数値を報告することで、他人から不正疑惑の目を向けられたり、しまいには、自己でも計算の再現性を証明できないケースも発生しがちになります。そして、ますます「唯心論的一神教」信者から、管理会計数値の信憑性を疑われる羽目になります。   ■ 全ての一神教信者に問う。「のれん」は償却すべきか? ここまでの説明をお読みいただき、一神教信者に趣旨替えをしたくなる人はいらっしゃいましたでしょうか? また、一神教を信じていてよかったと安堵していらっしゃる人はどれくらいでしょうか? そういう人たちに、ひとつ質問をぶつけたいと思います。 「のれんは償却すべきか?」 このブログ記事を書いている現在時点で、日本基準では「のれん」は償却対象ですが、IFRSでは償却不要です。あなたの信じる「一神教」は唯一なのですよね。では、日本基準かIFRSのどちらかが偽神ということになります。 筆者はドメスティックな人間で、世界の情勢に疎いのですが、中東近辺では未だに宗教的対立で命を落とす人たちがいます。ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は全て一神教で、信じる神は全て同一な存在である、という事実をご存知でしたでしょうか? そして自分たちの信仰が唯一で、自分たちの信仰心が正しく、自分たちの信心から得られる神の定義のみが正しいというビリーフに基づき行動しています。 すなわち、そこで争われていることは、宗教に疎い日本人には誤解が多きところでもあります。 「どっちの神が絶対神で、どっちの神の存在が正しいか」を争っているのではなく、 「唯一の絶対神を信仰する信者として、どっちの信者が正しい信仰を行っているか」を争っているのです。 この構図は、会計の世界で一神教を信仰している会計実務家、会計学者に等しく適用されます。 「のれんを償却する方法が正しい信仰を表すのか、それとも償却しない方法が正しい信仰なのか?」 昨今、日本企業で、次々とIFRSに移行する企業が増えています。その理由の一つが、「IFRSを採用すると、「のれん」を償却せずに済むので、期間利益を大きく見せることができる」です。また、「IFRS採用の同業他社と、日本基準の自社では「のれん」償却の有無の分だけ、問答無用に公表用財務諸表上の利益水準が不利になるので、投資家から正当に評価してもらうために、IFRSに移行せざるを得ない」という意見も耳にします。 ある意味、宗教音痴の日本人らしいですね。自分にとって都合の良い神(ここではIFRS)を信仰することに決める思考回路であって、自分にとって正しい神の信仰を選ぶわけではないのです。(^^;) 筆者が会計を一学徒として学び始めてすぐ、「相対的真実」という会計用語に出会いました。何が絶対的に正しいかを問うのではなく、目的に応じた会計数字をどうやって正しく導くかを問う方が、企業会計を学ぶ姿勢としてよりましなのではないか、そう感じた瞬間でした。そして、「多神教者」としての筆者が誕生したのです。 次回は、会計の多神教の流派について説明を続けたいと思います。現役の経営コンサルタントが管理会計をテーマに情報発信します