言葉は何のためにあるのか
そもそも、言葉は他人とコミュニケーションするために誕生しました。今から数十万年前に遺伝的変異が咽頭腔と喉頭腔の遺伝的変異が発生し、4~5万年前に言葉を獲得しました。
厳密には、母音をはっきりと発音する能力を獲得したので、それに子音をいろいろと組み合わせることで母音の響きの違いを際立たせ、それが意味のある言葉を成立させたといいます。
もちろん、600~700万年前に獲得した直立二足歩行により、口腔と咽頭腔が直角になり、咽頭が下に移動ことがその遺伝的変化の選択圧になったのだといわれています。後講釈かもしれませんが、生物の進化にはある程度必然と思われるストーリーがあって読んでいて大変興味深いものがあります。
「いんとうくう」とか「こうとうくう」といっても、孫悟空との違いがあまりわからないかもしれないので、参考にしたサイトをご紹介するとともに、孫引きになりますが、そこに掲載されている図版も下記に引かせていただきます。
外部リンク 言語の獲得と人類の進化|生物の進化論|FNの高校物理
フィオレンツォ ファッキーニ著「人類の起源」同朋社出版 P114~115の図を改変
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人類の脳の容積は母体の産道を通ることができる最大容量まで大きくなりました。そこまで大きく発達した脳は10%程度しか使われずに無駄に頭蓋骨の下に収まっています。残りの90%を使いこなすまでに、身体の方が進化してくるのを脳は待っている状態です。
一方で、知能は脳の容積の拡大や機能の進化に従って徐々に高くなっていきましたが、言語を持った後は、言葉による知識の集積を飛躍的スピードで行えるようになり、脳の外にまで知識を集積すること(コンピュータの外部記憶装置、データセンターを思い浮かべてください)を覚えた人類は生命史の中でも類を見ない進化を遂げています。
もはや、生命としての進化というより、人類全体の文化の進化という有機生命体としての身体的限界を超えた所に進化の可能性を見出しています。
そして大変興味深いことに、言葉の習得は、その個体の成長に大きな影響を与えています。言語の習得がその個体の知性の獲得と成長に必要なため、聾唖に生まれついた方には、できるだけ早い段階で手話を教えることによって、脳の成長を止めずに済むことも研究から分かっています。つまり、言語能力はその人の知能そのものといっても過言ではないのです。
言葉は変化する
そして、定期的に「今の若者の言葉はなっておらん」という批評もよく耳(目)にします。「チョベリバ」「チョベリグ」って何?という感じです。ちょっと古すぎますね。もっと「ナウい」言葉を選ぶ必要がありますね。「タピる」ぐらいにしておきましょう。^^)
年代別に見ると、「天地天命」を使う割合は若い世代ほど高い傾向にあり、最高は20代で63.8%。最低は50代の50.2%だった。本来の「天地神明」は10代が最も低く13.6%で、60代が39.6%で最も高かった。
2019/10/30 |日本経済新聞|朝刊 「天地神明に誓って」→「天地天命」が浸透? 文化庁「国語世論調査」 「砂をかむよう」本来とズレ 同記事添付の「どの言い方をする? どういう意味?」を引用
これは仕方のないことです。言葉は使われながら意味や用法を現代的にファインチューニングする機能を備えているからこそ、「言葉は生きている」といわれているのです。
保育所に調理場の併設義務があるのは「子供がちゃんとした大人になるため」という迷答を厚生労働官僚から引き出したことがある。「岩盤規制」は宮内氏の造語だった。
2019/11/25 |日本経済新聞|朝刊 桜を見る会と規制改革の妙 上級論説委員 大林尚
最近ではごく当たり前になっている「岩盤規制」だって四半世紀前にはなかった言葉でした。その時々の世の中の風潮を現す適切な言葉が次々の生まれていくから言語と知性が豊かになっていくのでしょう。「空気を読む」とか「忖度する」など、日本語の語彙としては昔からあるものでも、用例がピタッと収まってこそ、絶妙な語感が生まれるものです。ちなみに、「未曽有」は現時点ではまだ「みぞゆう」になっていません。^^)
ですから、新語が登場するだけでなく、従来の言葉の新解釈や新用法にあまり目くじら立てることは大人げない所作なのかもしれません。しかし、冒頭の新聞記事にあった下記文章から、ひとつだけどうしても気になる表現があるので、ここで取り上げることをお許しください。
慣用句の意味を聞く質問では、「砂をかむよう」を56.9%が「悔しくてたまらない様子」と回答。本来の「無味乾燥でつまらない様子」を20ポイント強上回った。「憮然」を「腹を立てている様子」としたのは56.7%。本来の「失望してぼんやりとしている様子」は28.1%にとどまる一方で、年代が若いほど本来の意味でとらえていた。学校が過去の世論調査の結果を授業で使うなどした影響が考えられるという。
同庁は言葉の変化について「良い悪いと評価するものではなく、その時々の言葉の意味や使われ方を観測しておくことが大事だ」と説明する。
2019/11/25 |日本経済新聞|朝刊 桜を見る会と規制改革の妙 上級論説委員 大林尚
分かりましたか?
皆さんは「世論調査」の「世論」をどのような発音をイメージして黙読されましたか?
ちなみに、「黙読」は「音読」の対義語で、その昔(といっても江戸時代ぐらいまで)は「音読」しかなかったのですが、明治維新後に国民の識字率が高まり、活版印刷も本格的に導入されて、いまや「黙読」が読書するときのスタンダードになっています。まあ、私はたまに声に出して「音読」することで理解を深めることをやりますが。^^;)
トリビアは心の内にしまっておいたほうがよい
いまや、8割以上の人が「よろん」と読み、NHKをはじめとするニュース番組でも「よろんちょうさ」といわれています。蘊蓄的には、明治期に「public opinion(公的意見)」の訳語として「輿論(よろん)」、「popular sentiments(国民感情)」の訳語として「世論(せろん)」と厳密に使い分けるこだわり派が少なからずいらっしゃいます。そういう私もこだわり派の一人ですが。
まあ、そういう混用が生じたのも当時の文部省の政策に原因があり、「輿」という漢字が、昭和21年に公布された当用漢字表に含まれておらず、「世論(せろん)」という文字を代用したことに起因するわけです。
ついでに、時の行政府がまき散らした言語政策の混乱については、句読法についても蘊蓄があるのでそちらもついでに紹介しておきます。
公文書の読点に使われている「,」(コンマ)について、文化庁が見直しの検討を始めた。民間では広く「、」(テン)で記載されているが、中央省庁では1952年の通知に従い、コンマで書くようルール化されている。ただ、半世紀以上を経て省庁でもテンを使う文書が増加。専門家会議で是非についての議論が進んでいる。
2019/11/20 |日本経済新聞|夕刊 公文書の読点なぜ「,」 半世紀前の通知に従う 文化庁、見直しを検討
記事によりますと、パソコン入力が広まった90年代から、コンマは徐々に廃れていったそうですが、公式サイトのトップページでいまだにコンマを使い続けているところがあって、裁判所や法務省、宮内庁、外務省などだそうです。
コンマの使用は1952年4月、当時の官房長官が各省庁の事務次官に通知した「公用文作成の要領」で定められたそうです。なんでも「行フモノトス」とカタカナ書きでお堅い感じの公文書を「感じのよく意味の通りやすいものとするとともに、執務能率の増進を図る」目的でコンマの仕様を決めたのだとか。
文化庁によると、文化審議会国語分科会の小委員会で、コンマについて問題提起しており、専門家が来春にも結論を出す見通しになっているそうで、こういう現代では無意味になっているものはどんどん改めていったほうがよろしいでしょうね。
この章の冒頭に話題を戻すと、「世論調査」については、そうした経緯を踏まえ、正しく言葉を使いたい自分としては、頑なに「せろんちょうさ」と黙読し続けています。そして発話する際には、「よろんちょうさ」というようにしています。日頃から「正しい日本語を使いなさい」と若手を指導する立場にあって、漢字を読み間違いしている、と勘違いされると、鼎の軽重を問われかねないですからね。
それはそうと、「鼎」というものはですね、そもそも、古代中国の「春秋左氏伝」にある故事の、、、
蘊蓄が止まりそうにないので、今日はこの辺で自主規制することにします。m(_ _)m
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