経営戦略概史(24)ターマンが生んだシリコンバレーからイノベーターたちがやってきた - アントレプレナーシップについて

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■ シリコンバレー誕生秘話からアントレプレナーシップについて考える

経営戦略(基礎編)_アイキャッチ

「経営戦略」の歴史を、三谷宏治著「経営戦略全史」(以下、本書)をベースに説明していきます。今回は、「アントレプレナーシップ」「起業家」論について、ターマンとスティーブンソンの足跡からアプローチしていきます。

フレデリック・エモンス・ターマン(1900~1982)は第二次世界大戦中にマンハッタン計画を主導したヴァネヴァー・ブッシュの下で学んだ一人です。ブッシュは戦争後のアメリカの科学と工学が進むべき道は、情報処理と検索にあると考え、ターマンもその信念を堅守します。1925年にスタンフォード大学に戻ったターマンは研究室の付近にあった学生たちのアマチュア無線局に出入りするようになり、そこで、後のHP(ヒューレッド・パッカード)の創業者となるデビッド・パッカード、ウィリアム・ヒューレットと親しくなりました。ヒューレットがスタンフォード在籍中に開発した音響発振器を評価し、二人にパロアルトに戻って起業するように勧めたこの場所が、シリコンバレー発祥の地となったのです。

20180328_フレデリック・エモンス・ターマン

HPに続いて、コンピュータメーカーのDEC(1957)、コントロールデータ(1957)、データゼネラル(1968)、半導体メーカーとして、フェアチャイルド セミコンダクター(1957)、ナショナル セミコンダクター(1959)、そしてアップル(1976)が次々と創業されていきます。その中心に位置していたのが、スタンフォード大学でした(本書p205-206)。

スタンフォード大学に招聘されて工学部の学長に就任したターマンのミッションは「東部への学生の流出を食い止めよ」。そして彼は、「大学は象牙の塔であるよりも応用研究のセンターであるべき」という信念のもと、スティープルズ・オブ・エクセレンスという手法で学部、学科を大幅に再編して将来性のある分野への予算を重点的に配分したり、優秀な教員を他大学などから招聘するとともに、産業と大学を強い絆で結ぶ「産学連携」を本格に実行し始めました(本書p206)。

しかしスタンフォード大学の創設者であるリーランド・スタンフォードは大学所有地の売却を一切禁じていたため、大学の所有する敷地を「スタンフォード・インダストリアル・パーク」として企業に貸し出したのです。バリアン・アソシエイツ、ヒューレット・パッカード、イーストマン・コダック、ジェネラル・エレクトリック、ロックヒード・コーポレーションなどがスタンフォード・インダストリアル・パークに移り、これが最終的にシリコンバレーとして知られるようになったのです。

こうして、ターマンは、“シリコンバレーの父”として知られるようになったのです。

 

■ そうして西海岸でアントレプレナー論が誕生した

その後、HP、ショックレイ研究所、フェアチャイルドなど、それら自身がまた多くの起業家(アントレプレナー)とイノベーションを生む孵化器(インキュベーター)機能を担うことになります。こうした創業が次の創業を生む状態を指して、ターマンは、「注意し給え諸君。今この世の中を揺り動かしているのは、決して学識ゆたかな学者ではないのだ。かえって、何も知らない連中の方が、革新の旗手たりえているのだ」と述べています(本書p207)。

まるで、この言だけ聞くと、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」を彷彿とさせます。まあ、こっちの方が時系列的には後ですが。(^^;)

前回採り上げたシュンペーターによる「イノベーションの非連続性」、イノベーションは大きな「軌道の変更」だけでなく「担当者の変更」を伴うとの言を良しとするならば、考えるべきは、どうやって企業を運転しようとするかを考察する「経営戦略」ではなくて、イノベーションをどうやって新たに生み出すかを考察する「起業戦略」なのかもしれません。

⇒「経営戦略概史(23)フォスターがリードしたマッキンゼーの「イノベーション戦略」 - イノベーション理論の始祖のシュンペーターまで遡って議論してみる

そして、起業するためには、その半端ない熱意と情熱と執着の塊である起業家の存在が必須となり、自ずと「起業戦略論」は「起業家論」となり、アントレプレナーシップとは何か、どんな資質のアントレプレナーならば成功するか、という論点に注目が行くことになるのです(本書p208)。

これがアントレプレナー論の誕生です。

 

■ やがて東海岸の逆襲がHBSから始まる

1982年、ハワード・スティーブンソンはHBSに招聘され、起業家育成のための教育コースを立ち上げます。それまで、大企業経営者を育成すべく、教育プログラムを組んでいたHBSですが、学生たちの意識が“コンサルティング会社や投資銀行勤務で高給取り”から、“うまく起業して一攫千金”にシフトしたお陰で、学生集めのために、起業家育成コースを創設するしかなかったのです。いつの時代も学生に人気のある就職先がビジネススクールの教育メニューを変えるのです(p208)。

今の時代ならAIやデータサイエンスでしょうか。ちょっと前ならMOT(技術経営:Management of Technology)という名前でも売れたのでしょうが。。。所詮、ビジネススクールも採算が命なのです。

以下、本書p209-210の要約として、スティーブンソンのアントレプレナー論をまとめます。

● アントレプレナーがたどるプロセス

① 戦略の立て方:今の資源に囚われず機会を追求する
② 機会への対応:長期に徐々にではなく素早く対応する
③ 経営資源:所有するのではなく必要なだけ外から調達する
④ 組織構造:ヒエラルキー型ではなくフラット型。インフォーマルな多重ネットワーク
⑤ 報奨システム:個人ではなくチーム単位。固定式ではなく業績比例で配分

結論)
起業で成功するには、戦略をじっくり立てるのではなく、外部からもたらされる機会に素早く対応し続ける

ひたすら目の前のビジネスチャンスの背中を追っていく。そうしたアントレプレナー論から見れば、これまでのケイパビリティ派も、ポジショニング派も、なんともぐずぐずしていて歯がゆい感じで目に映るに違いありません。

まあ、ミンツバーグの「コンフィギュレーション」には、企業そのものではなく、人に焦点を当てる、ワッツの「アダプティブ戦略」には、即応力やスピードを重視するなど、その後ンの戦略論とつながるところも無きにしも非ずですが。

 

■ (まとめ)アントレプレナーシップの定義と卒業条件

最後に、もう一度、ハワード・スティーブンソンの言葉を噛み締め直します。アントレプレナーシップとは

「コントロール可能な資源を超越して機会を追求すること」

ハーバードにおける「アントレプレナーシップ」の定義 | HBR起業ブログ より

①「追求」
1つの目標に向けた困難な取り組み。大企業ではどんなチャンスでもポートフォリオの一部とされ、資金も潤沢にあるが、ベンチャーは時間を無駄にすれば目に見えて現金が減っていく。よって起業家は、大企業では見られない切迫感を持って瞬間的なチャンスを察知することを追求する

②「機会」
(1)真に革新的な製品の開発
(2)新しいビジネスモデルの考案
(3)既存製品の改良版や廉価版の開発
(4)既存製品の新規顧客層への売り込み

ただし、これらは相互排他的ではない。

③「コントロール可能な資源」
これは経営資源の制約に関係する。新規ベンチャー事業の立ち上げ当初、創業者は独力で事業を起こし、自前の人的資本、社会資本、金融資本のみで勝負する。自分の時間のみを事業につぎ込み、必要に応じて身銭も切る。これは内部キャッシュフローだけでビジネスを自律状態まで持っていくことを意味する。

やがて、創業やベンチャーから功成り名遂げて大企業にまで発展すれば、創業者は個人的にコントロールしているよりも多くの資源を動員する必要が生じ、生産施設、流通チャネル、追加の運転資金などを外部に頼ることになります。そこまで到達すれば、もうアントレプレナーシップはいったん卒業。第2の創業を目指したり、新陳代謝を常に心がける社風が残っていれば、アントレプレナーシップは社内で生き続けることになるでしょう。

このコントロール可能な資源というキーワード。この制約を受けているかどうかがベンチャー気質の会社とエスタブリッシュ企業を分ける唯一の基準かもしれません。普通の会社になる、というのは一概に悪いことではありません。それは社外に経営資源を頼ることができるようになるという意味。お金の面でも、現金配当を始めたり、がこれに該当します。常に新事業開拓を追い求め、社内外からのキャッシュインで新規投資に充てている間は、アントレプレナーシップが必要なようです。

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2件のコメント

  1. 最後のおまけコメントを追加しました。ベンチャーから普通の会社になることは一概に悪いことではない。それは経営資源の調達方法次第ということを説明しました。

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