■ 相手にも自分自身の意見を持たせてやる寛容はやがて自分の身を助けることになる
Honest differences are often a healthy sign of progress.
率直な意志の相違は、進歩を示す健全な兆候だ。
(インドの弁護士、宗教家、政治指導者 / 1869~1948)
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親が躾の中で子供が言いつけを守らない、上司が仕事の中で部下が指示に従わない、友人が交友の中でなかなか意見を同調させない、からといって、相手をどう説得するか、どう言い負かすかにしか目がいかない人はいませんか。それは、相手を支配しようとする意志の表れで、大変危険な兆候です。
人はだれでも自由意思を持つ自由を持っています。「自由権」は基本的人権のいの一番に搭乗する大事な考え方です。相手の自由を尊重するからこそ、自分の自由も相手の横暴から擁護されることになります。あなたが許されたければ、まずあなたが相手を許すのです。
さらに、自分とは違う意見やモノの見方をする人の存在は大変貴重です。なぜなら、自分自身の凝り固まった固定観念から離れて物事を見るいい経験が得られるからです。誰しも、生まれ持ったバイアスから自由に発想することはできません。バイアスがかかったものの見方に拘泥していては、真実は見えてはこないのです。
私はこう思うよ、でも、あなたの言う意味も理解できるよ。
キチンと自分の意見を持つことはとても良いことです。定見を持つということを私はとても大事にしています。それと同等以上に相手の意見に耳を貸すことを心がけています。すなわち「傾聴」の精神です。
この年になると、自分の耳に痛い言葉はなかなか入らなくなります。それは、年齢を重ねると自然に自分のそばには、自分に迎合する(または同調する)人を置きがちになるからです。わざわざ、自分にたてつく、意見(異見とも書く)を言ってくれる人を敬遠するようになります。
人の意見に耳を傾ける。それはポーズとして寛大・寛容な人間性だと見せつけるためではなく、自分自身の凝り固まった考え方を矯正してくれる唯一の道だからこそ尊い行為なのです。そして、それは同時に相手を尊重することにもなります。自分が成長して相手も気持ちよくお付き合いできる空気をつくり上げることができる。
率直な意見の相違は歓迎こそすれ、これを撃退するべきものでは決してないのです。
この国は自由の国です。起立したくないときに起立しないで良い自由があるはずだ。私はその自由を行使しているだけです。
(by ヤン・ウェンリー)
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