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放送10周年スペシャル 岡村隆史 プロに出会う旅 2015年10月26日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

TV番組レビュー
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■ 不安の中に、成功はある(2008年3月7日放送)

コンサルタントのつぶやき

『臆病者でもいいじゃないか』

飛騨高山。ここに全国から仕事の依頼が殺到する一人の職人がいる。腕は一流。しかし、いつもぼやいている。43歳の若さでこう呼ばれる。

「カリスマ」

天然の土から壁を作り出す現代の匠。左官職人、挾土(はさど)秀平。

挾土のこては流れるように走る。時間がかかると水分がなくなりムラができる。壁土の厚さはわずか2ミリ。挾土本人は不安そうに何度も壁を触る。ここに挾土を挾土たらしめている仕事の流儀がある。

『職人は臆病であれ』

「常に臆病な人間でないと、成功っていうのはないんじゃないですか。失敗するんじゃないかと思うから、念には念を入れて、でも待てよ、でも待てよってなるんでしょ。」

臆病に、臆病に。挾土は職場でそう繰り返す。

20151026_岡村隆史_プロフェッショナル

番組公式ホームページより

(岡村)
「挾土さんのすごい所って、自分のいろんな気持ちであったりとか、感情とかネガティブなこととかも、全部自分でコントロールできはるんですよ。(視野が狭く入り込んでいく)こうなっていくのを1回フッて、自分であかん、あかんっていう、自分を自分ですごいコントロールできる人なのかなって、番組見てたときも思ってて、そういうのも聞いてみたいなと思って」

(挾土)
「左官って、壁をなでるってことをやると、その人の繊細さ加減ってよく分かるんですよ」

(挾土)
「自分のことを本当に臆病だと思います。でも、一方では、だから成功してきたんだと思う。6年ぐらい前、僕も自律神経がおかしくなって、めまいの中で3年間生きてきました。ああ、こういうときは、切り替えて休まなきゃ、とか別のこと考えよう、とかそれが上手になってきて、僕も一回り強くなってきてますもん」

(挾土)
「僕本当に難しいと思うのは、仕事のレベルも上がっていって、社会的な重圧もかかってくる。前のリセット方法ではダメになって来るんですよね。仕事に対する責任感とか、いろんなものがアップするのに乗じて、自分のリセット方法をずっと模索しているっていう状況を、リセット方法もレベルアップしていかないとダメですよね」

(挾土)
「僕は、すごい重たい仕事ひとつもらうでしょ。それずっと考えるのが嫌なんですよ、怖くって。だから別の仕事を増やして。つまりこれも逃げで、大事な仕事があるけど、俺こっち考えているからということにして、逃げてない、ということにしている」

(岡村)
「でも、いつか腹をくくって、そっちをガッとやらなきゃいけないときが来ますよね」

(挾土)
「まあ、こっちをやっている間にヒントが浮かぶじゃないですか。キーワードは必ず浮かんでいて、逃げてんだから、常に逃げている所のことは頭にあるわけだから、キーワードがたくさん貯まったら、よし!、試す、この中に必ず絶対ある、ってことでその中に入っていく。違うことやれば、多彩な色、可能性がキーワードで浮かぶ、ということを知らないうちにやっているのかな」

■ りんごは愛で育てる りんご農家・木村秋則(2006年12月7日放送)

『人生をあきらめているあなたへ』

そのりんごを育てる男はとにかくよく笑う。りんご農家 木村秋則、57歳。22年前、日本で最初に、農薬や肥料を一切使わずに、本格的なりんご栽培を成功させた。常識はずれの木村のりんごづくり。それはただ、ひとつのことだけにこだわる。

「主人公はりんごの木なの」

りんごは病気や害虫に極めて弱い。農薬を使わない栽培は不可能と言われてきた。しかし、木村は化学薬品を一切使わず、たわわにりんごを実らせる。

(木村)
「何も施さないのによくこれほど大きくなるものですね」

木村のりんごづくりはひとつの信念に貫かれている。

『育てない 手助けするだけ』

(木村)
「私、ただこの栽培を栽培と言う言葉じゃなくて、りんごの木が育ちやすい環境を手助けしているだけです」

この畑は、りんごの木が育ちやすいように自然に近づけるように8年もの歳月をかけて徹底して作り上げたものだ。木村の仕事は益虫と害虫のバランスに目を光らせること。害虫の卵が増えたと思えば、自分の手で駆除する。

(木村)
「私の栽培は、目が農薬であり肥料なんです」

農薬や肥料に頼らない木村のりんごづくり。それが実現するまでには、8年に及ぶ壮絶な格闘の日々があった。1年たっても2年たっても花さえ咲かなかった。りんごが取れなければ収入が無い。生活費を稼ぐため、木村は夜、キャバレーの呼び込みをやった。妻は料理に畑の雑草を使い、食費を切り詰めた。娘たちは小さな消しゴムを3つに分けて使った。

万策が尽きた木村。6年目を迎えた夜、一人岩木山に向かった。死ぬ覚悟だった。死に場所を探して歩き回った。突然、視界にりんごの木が飛び込んできた。目を凝らすと、枝振りが似たどんぐりの木だった。ふと思った。なぜ農薬をかけていないのに、自然の木には病気もなく、害虫もいないのか。夢中になって、根本の土を掘り起こした。土は驚くほど柔らかだった。

(木村)
「これを再現しようと。これを再現すればりんごは実るんだという」

木村は、山の環境を再現するために、畑の雑草を伸び放題にした。りんごを作るより、あの柔らかい自然の土を作ることだけを考えた。8年目の春、白く可憐なりんごの花が畑を埋め尽くしていた。涙が溢れて止まらなかった。

(木村)
「頑張れたのは家族だな。女房がやっぱり頑張ろうと、言ってくれた。だってよ、私がりんごが無いときよ、困った顔していたらよ、家族みんな沈むもん。昔は、女房と決行する前は気難し屋と言われていた。ひとつも笑ったことない。私さ、1円も無いとき、太陽に、奥歯ないけど、奥歯が見えるほど、大笑いしていこうってな。なんかよ、笑うことでよ、自分の気持ちも和らいでいくんですよ」

(木村)
「歯を入れないのは、昔のことを忘れたくないから。今はりんごが実ってお客さんが買ってくれるから生活面では少しは楽になったけど、違うんだとな。初心忘るべからずっては、人間、良くなれば、過去のつらいことを忘れる人が多いのよ。私が主役でないんだと。畑に来たらりんごの木が主役だと。私はいつもお手伝いさんだと。それを忘れたくないから歯を入れない。自分への戒めとして。」

(注:木村さんは、昔、虫歯になってもお金が無いため、歯医者さんに行くことができなかったので、自分で歯を抜いていたから歯が無い)

■ 妥協なき日々に、美は宿る(2008年1月15日放送)

歌舞伎役者 坂東玉三郎さん。

奇跡の女形と呼ばれる一人の歌舞伎役者がいる。その美しさは30年以上、人々を魅了し続けてきた。しかし、役者としての道は決して平たんではなかった。女を演じるには背が高すぎた。幼いころに患った小児まひのため、右足に後遺症が残る。いくつもの困難を乗り越え、女形として頂点を極めた。

玉三郎の真骨頂は高い身体能力に支えらえた優美な動きにある。高度な技巧を凝らした舞は海外でも高い評価を受ける。舞台が終わると真っ直ぐに家に帰る。家と劇場をただ往復する毎日だ。

(玉三郎)
「まっすぐです。どこも寄らない。衣装が出来るとか、いい鬘(かつら)が出来るとか、いい音楽が出て来るとかが一番の気分転換だね、舞台のね」

玉三郎は20代の頃からトレーナーをつけて体のケアを徹底している。

(玉三郎)
「体、あんまり強くなかったから、みんながおうち帰って休んでいる時に、ちゃんと筋肉ほぐしておかないと、あした、みんなと同じところから仕事できなかったんで」

筋肉をほぐした後はすぐ眠る。声の調子を保つため、友人との電話も控える。

貫いてきた流儀がある。

『遠くを見ない 明日だけを見る』

(玉三郎)
「1日1日やっていったら、振り返ったら50年だったわけですよね。だから、明日のことを大事にしていけば、つながれていくかもしれないし、それしかやりようがないんじゃないですか。ストイックというよりね、他にやることが無いんですよ。遊びたいのに遊ばないのってすごいストレスになるじゃないですか。外に行って遊ぶとか食事するとかほとんどしないので、しない質なので、ストイックに見えるだけなんですね」

(玉三郎)
「10年先とか20年先とかぼやっとしたイメージはありますよ。10年先の目標を作ってそうじゃない所に行ったらどうします? だったら、今日と明日、3日後ぐらい、明後日ぐらいを充実すれば、自然に10年先に目標じゃない方に行けるかもしれないじゃないですか。目標立ててそっちに行くって、道が変わった方がいいときって、方向転換できなくないですか? ただ目標のない目標、例えば、10年後にもちゃんと体が動くようにとか、どういうものができるか、そういう考え方はあるよね。でも、できなかったときに、できなかったんだとそこで思えないと、10年後にこういうものができて、これだけの体が動くとか目標を立てて、そこに行かなかったらストレスになりません? それだったら、今日と明日をちゃんとやれるほうが、自然と先が導かれるんじゃないかなと思います。」

(岡村)
「僕は先ばっかり見てしまいます」

(玉三郎)
「それは、不安なんでしょ。」

(岡村)
「年齢を重ねていく怖さってないですか?」

(玉三郎)
「あります。でも怖がっていても、仕方がないから、やっぱり、今日明日をちゃんとやっていけば、自然とそこに行けるかな、という感じしかないですね。」

(岡村)
「引き際とか考えたりしますか?」

(玉三郎)
「ええ、考えています。でもね、あんまり公に言わないの。フェードアウトね。スパンって切りたいけど、ごじゃごじゃ言われたくないのね。だって、自分でゆっくり考えて出した結論に対して、どうしてですかとか、残念ですねとか、まだおできになるのに、と言われて何て答えたらいいの? だけど、毎日、日々日々、ちゃんと24時間考え来たことに、何でですか? と聞かれて、いや、そういう結論なんですとしか言いようがないじゃない。」

(岡村)
「気持ちが沈んだりした時はどうなさるんですか?」

(玉三郎)
「もう時間を過ごすしかないです。それから環境を変える。ただし、ある程度の期間が来てから環境を変えないとね」

(岡村)
「玉三郎さん、幸せですか?」

(玉三郎)
「あのね、人生っていうと、多少苦痛を伴うんですね。でも苦痛だけではないのよね。ただ、どうだったですかって聞かれたら、僕は幸運だったと思います。だから、他の方から見れば、すごく幸せな人生に思われるでしょうね。ということは、幸せだったと思います。すごく華やかな舞台に立てるとは思ってこずに生きてきて、それができてきたということは、もう夢の夢がかなった人生だったと思うんですね。おたくっていうか、何か集中していたら、そんなことしていたら社会人になれるかわかんないようなことをしてきた子供だったわけですよね。それが、人生とはなんだったですかって話せたりね。夢のような人生でしたね。」

プロフェッショナルの生き方とは?

「本当ありきたりな言葉でつないでしまう自分が
ちょっと恥ずかしいんですけど、自分の目標に向かって、
まっすぐ努力を惜しまず、常にベストを尽くせる人だと思います。

それがなかなか出来ないもんですから、「こんなんでいいわ」
「あんなんでいいわ」って妥協してしまう。「しんどい」
「寝たい」「ごはん食べたい」ってなるところ、自分は
こんだけ努力したって言いたい人たちがいっぱいいるなかで、
それ以上の努力をして、それを苦しいとも思わず、
ベストを尽くして。それでないとダメやと思います。
プロやって言うたらアカンのとちゃうかなと思いますけどね。
ほんなら自分がそうかと言うたら、うーんってなるけど。」

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番組ホームページはこちら
http://www.nhk.or.jp/professional/2015/1026/index.html

→再放送 10月31日(土)午前0時55分~午前2時6分(金曜深夜)総合

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