■ 10周年! あのプロに再び密着 大人気リゾート経営者
放送開始から10年。登場した297人の歩み。それは日本の歩みそのものだ。この10年、プロたちはどう過ごし、何と向き合っているのか? 再びプロたちにカメラを向けた10周年スペシャル。
まず尋ねたのは番組第1回目に出演した、経営者(星野リゾート代表取締役):星野佳路(55歳)。経営不振のホテルや旅館を次々と立て直す、再生請負人。10年前、負債147億円を抱えたリゾート施設(リゾナーレ)を3年で立て直したことで一躍注目された。その働き方が独特。当時から社長室が無かったが、その習慣は今も続いている。「トップが偉そうにしていては社員の士気が上がらないから」と、社長室を捨てた。
『社長は偉くない 主役は、社員』
社員に向けた経営説明会・セミナーでの発言。
「簡単に言いますと、ここの職場での主役というのは、わたくし経営者ではなくて、皆さん自身です。自分の上司にいったんお伺いを立てて、こんなことを言っていいのかしらなんてこと、聞く必要ない。それはどんな結果であっても、責任は私たちがとりますから。経営者が主役ではなく、みなさんが主役というのは、常に忘れないでほしいなと思っています。」
10年前に星野の下で働いていた人は1000人。自ら考え、行動させることで、意欲を高め、それを原動力にして再建を果たしてきた。あれから10年。星野が手掛けるホテルや旅館の数は35。当時の4倍以上に増えた。成長する喜びの一方で、今新たな悩みと闘っている。
「組織が大きくなると、私たちが大事にしていることを維持するのが難しくなってきます。それはフラットな組織文化を全拠点にきちんと維持するのは大変なことですし、それはすごく作るのに時間がかかりますけど、壊れやすいものですから、それが危機感につながっている。」
それでも星野は決めている。
『どんなことがあろうとも、信念を貫く』
とあるオープンを迎える施設の開業準備を全て現場に任せ、口を出さないようにしていた。どんなに組織が大きくなろうと、社員を主役に据える。信念を貫く闘いが続いている。
プロフェッショナルとは?
「プロというのはやはり完璧に仕事をする人だと思うんですね。そこに毎年毎年淡々と近づいていっている。その努力を止めない、その進化を止めない。これが私はプロフェッショナルの姿だと思いますね。」
星野リゾートのサイトはこちら
(http://www.hoshinoresort.com/#home)
■ 10周年! あのプロに再び密着 部長から社長へ サラリーマンの星
一サラリーマンから社長に上り詰めた男、大手飲料メーカー(キリンビバレッジ)社長:佐藤章(56歳)。4000人を率いる立場になっても、現場を駆け巡り、斬新な売り場をどうやってつくるか一緒になって考える。周囲を巻き込む仕事ぶりはあの頃と全く変わらない。
10年前、佐藤の肩書は、「商品企画部長」だった。競争が厳しい飲料市場で次々とヒット商品を生み出していた。リーダー佐藤が貫く流儀があった。
『“情熱”を伝染させろ』
佐藤は体全体を使って、自分の思いやイメージをメンバーに伝えていた。そして一切妥協しない。佐藤の揺るぎない姿勢が現場の人間を奮い立たせていた。
2012年、情熱を伝えるべき相手は、かつての30人から4000人に増えていた。現在大きな課題が課せられている。業界3位から5位に転落したのを巻き返そうとしているのだ。
『現場に情熱を伝え続ける』
「いろんな相手の人たちを巻き込んでいく。ここが大事な気がするね。まず自分たちで始めろと。でもワイワイ言いながらやろうよ。きっと相手の方たちが喜んでくれるよ。それで、いけるというものをやり続けるというね。なんか有効な手立てが絞られていく感じはするので、そうするとヒットが打てる確率が高まるじゃない。」
「営業の現場、生産の現場、そしてマーケティングの現場、いろんな要望や考え方が多岐にわたりますが、それをひとつひとつ整合させていって、一本の太いひもに紡いでいくというんですかね。これが今の時代は大事なんじゃないかと。まずは現場ですよ。その現場がどういう音を奏でるかのコンダクト(指揮)をする。いろんな苦悩をしなきゃいけないでしょうね。」
プロフェッショナルとは?
「寸分違わず、やっぱり愛情を注げる人。愛情を持って仕事ができる人。これに尽きると思います。」
キリンビバレッジのサイトはこちら
(http://www.kirin.co.jp/company/about/kirinbeverage/)
■ 10周年SP 新たな闘いへ イチロー・本田・羽生の流儀
イチロー
『常に、今の完璧を作り上げる』
「過去のものを、自分が持っていた形、思い返してみると、よくあれで打てたなって今もそう思うんですよ。いろんな肉体の状態、精神の状態、毎年変わっていくと思うんですよね。その中で、その時々の自分の完璧を作り上げていく。これ、終わりが無いんですよ。」
本田圭祐
『信じる力』
「信じることっていうのは、僕にとって希望なんですね。信じられなくなったときに、その希望の光は見えなくなる。人って誰しもがうまくいかなかったときとかに、ちょっと疑うと思うんですね。そのときにいかに自分を信じることができるか。信じるっていうのは本当に希望そのものですよね。」
羽生善治
『勝ち負けを、超える』
「年数を重ねてくると、手堅くいこうとか無難にいこうとか。そこから何が生まれるのかといったら何も生まれないでしょうから。非常にいい作戦だからもっともっと極めて自分の形みたいなものになるんだったら、一つ二つ負けるのは別に苦にはならないということですね。」
■ 10周年! あのプロに再び密着 元社長 倒産の苦しみ
過酷な運命を背負うことになったプロフェッショナルもいる。大手半導体メーカーの経営者(元エルピーダメモリ社長):坂本幸雄(68歳)。番組が坂本さんを取材したのは2007年。赤字続きだった大手半導体メーカーを社長就任1年目で黒字に転換。そして僅か2%だった世界シェアを約10倍にまで引き上げ、半導体業界の救世主とまで呼ばれた。
『社長の仕事 = 決断する』
「やっぱりひとりの人間が強烈な考えで投資っていうのはきめなきゃいかんというふうに僕は思っているんだよね。みんなのアイデアをみんなが「こういうふうにやりたい」とか「ああいうふうにやりたい」とかっていうことを聞いてやっていたら、それは投資じゃないよ。やっぱり、そこに立ったトップの人が自分の責任で決めていくしかないよね。」
リーマンショックのあおりから、1800億円の赤字を出してしまった。さらに、海外売上高比率9割の会社に、1ドル=76円台という超円高が襲う(2011年)。これが致命症になった。坂本さんは自らの報酬をカットしながら必死に打開策を探し続けたが、万策が尽き、経営破たんによる会社更生法を適用(2012年)。
負債総額4480億円。日本の製造業では戦後最大の負債を抱えての倒産となった。相次ぐ非難。どん底の中で坂本さんは、最後の決断をする。それは管財人として自らが会社の再建を担うことだった。雇用と技術を守るため、事業をそのままの形で引き継いでくれる会社を見つける必要があった。半導体業界に詳しく、人脈も豊富な自分自身がその任にふさわしいと考えたのだ。倒産の責任者が管財人を務めるのは日本では珍しく、さらなる批判が集中した。そして4か月後、その会社(米マイクロン・テクノロジ)を探し出した。
(筆者注:星野リゾートと、エルピーダメモリ。徹底的に従業員の貢献意欲を高める経営と、トップダウンで素早い投資判断を必要とした経営。それは、労働集約的産業と資本集約的産業下での会社経営のそれぞれの特徴を示しており、必ずしも、トップダウンが会社をダメにするとは思いません。エルピーダメモリに関しては、後講釈かもしれませんが、多額でかつ迅速な投資意思決定を邪魔する何かがあったそうです。一方的に坂本氏の肩を持つわけではありませんが、気になる方は下記の東洋経済オンラインの記事をどうぞ)
東洋経済オンライン
坂本前社長が語る「エルピーダ倒産」の全貌
経営破綻からマイクロン傘下に入るまでの舞台裏
プロフェッショナルとは?
「やっぱり世界中の人が感心するということができることが、会社の中でもそういうことができる人がやっぱりプロフェッショナルなんでしょうね。」
坂本幸雄 – 経済界
(http://net.keizaikai.co.jp/archives/7498)
■ 10周年SP 新たな闘いへ 田中将大・北島康介 育てたプロ
投手コーチ:佐藤義則
『全力で褒める、全力で叱る』
「ダメなものはダメ、いいものはいいってはっきり言ってやんないと。選手に嫌われて、注意しながら叱るところは叱る、褒めるところは褒める。」
競泳コーチ:平井伯昌
『嘘をつかない、率直であれ』
「僕は褒めないんですよ。必要以上に褒めないんですけど、ただその北島が言うにはね、だから平井先生から金メダルが取れるぞとか、絶対ベスト出るぞとか、絶対勝てるぞって言われると、僕は信じるんですっていうふうに言ってくれたことがあって、そのとおりなんですよね。嘘は言いたくないので。」
宮大工:菊池恭二
『あえて谷底に突き落とす』
「プレッシャーかかったって、プレッシャーを超えてこそ、自分のものになるからさ。俺なんかプレッシャー楽しんでいるんだよ。」
(筆者注:3人の名伯楽は語る! 語り口や内容はそれぞれ違うかもしれないけど、お三人方とも、真っ直ぐに相手を見ていること、誠実であることは間違いないようです)
■ 10周年! あのプロに再び密着 心を打つ 高校教師の挑戦
そして若い人たちを指導すると言えば、生徒たちの心のケアで注目を集める定時制高校の英語教師:岡田倫代(56歳)。20年近く、不登校や非行に走った子どもたちと向き合ってきた。今、高校教師の枠を飛び出し、幼稚園や保育園まで活動の幅を広げている。岡田は定時制高校で教壇に立つうちに、幼い時に心に傷を負った生徒が多いことに気付いた。そしてできるだけ早い段階でのケアが必要と考えるようになった。
「いろんな経験は積んできた方が、つらいことも悲しいことも積んできた方が人間としての豊かさは出るかもしれないけれども、でもそのつらさや痛みっていうのを過剰につらさ痛みを感じ続けてきたのだとしたら、しんどかったと思うから、そういうところがちょっとでも軽くなれば、もっと楽に人生を送れるんじゃないかなと。」
span style=”font-family: arial,helvetica,sans-serif; font-size: 12pt;”>岡田さんは定時制高校の教壇に立つ前に、幼稚園や保育園での子供たちの心のケア支援活動を行っている。子どもたちの表情や遊びの様子からかすかなサインも見逃さず、心の状態を見極めていく。こうした活動のために臨床心理士の資格も取った。
『できることは、すべてやる』
「とにかく自分の目の前にいる生徒、目の前にいる子ども、その子が本当にすくすくと育ってくれたらいいなと。それしかないですね。」
プロフェッショナルとは?
「お互いに何かを高め合っていける。何かを深め合っていける。そういうことができる人、したい人じゃないかな。」
岡田倫代さんWikipedia
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%80%AB%E4%BB%A3)
■ 10周年! あのプロに再び密着 被災地の子どもたちのために
2011年、東日本大震災。この10年に日本で起こった出来事は、多くのプロフェッショナルの生き方も変えた。その一人、仕事の枠を超えて被災地で新たな挑戦を始めたのが、作業療法士:藤原茂(67歳)。手足の麻痺などを直すリハビリのエキスパートだ。この日訪れたのは被災した子どもたちをケアするために自ら作った施設。
藤原さんは、山口を拠点に画期的なリハビリ方法で大きな成果を上げていた。通常リハビリはつらく厳しいもの。それを山口さんは楽しいリハビリに変えた。自分が好きな遊びを訓練に仕立て、夢中にさせる。こうした取り組みで多くの人が機能の回復や改善に成功していた。
『心が動けば、体が動く』
「機能回復しようしようと思って一生懸命やるときには全然機能回復を測れない。もう諦めていたのに、やりたいことを一生懸命やっていくと、気が付いてみたら「おいおい、こんなに元気になっているよ」「今までつえを突いて歩いていたのがつえを置き忘れたよ」要するに杖を使わないでも歩くようになっていく。」
藤原さんが岩手に「子ども夢ハウス」を作ったのは3年前。被災地で子供の自殺が増えた。子どもゆえにあまり報道されて世に知らされていないが、ということを被災地の知人から聞いてから。藤原さんを突き動かしているのは使命感ではない。
『計算しない。心のままに動く』
「ここへ来た瞬間、やろうと思った。やらざるを得ないと思ったからやっているだけ。でもそれは前後見境なくやらないとダメですね。下手に計算なんかしてたら生まれないんじゃないですかね。僕は人のためにやっているという自覚はない。私がそうやりたい。私が楽しみたい。私が喜びたい。私が穏やかになって生きていて、うれしいと感じたい。」
プロフェッショナルとは?
「走りながら考える。考えながら走る。もう直感的にこうだと思ってとにかく走る。絶えず走りながら考えていくっていうこと。それができる人がプロフェッショナルかなと思いますね。」
夢のみずうみ村 代表 | 藤原茂ブログ | 日々の出来事やいろいろ
(http://www.yumenomizuumi.com/blog/)
■ 10周年! あのプロに再び密着 話題の建築家 進化する74歳
もう一人、東日本大震災に影響を受けたプロフェッショナルがいる。世界を股にかけて活躍している建築家:伊東豊雄(74歳)。番組に登場したのは震災の2年前。総工費が数百億円にも上る大型建築物を次々と手掛けていた。
『これまでにない、新しいことをやる』
曲線を何層にも積み重ねたかつてない構造。大胆な色使いと個性的なフォルム。スケールの大きい伊東さんの作品は斬新なアイデアで国際的な評価を受けてきた。そんなとき東日本大震災が起きる。復興計画に携わった伊東さんは何度も現地に足を運び、本当に住民に必要とされる建築とは何かに耳を傾けた。その中で自分の建築を根本から見つめ直した。考えたのは仮設住宅の中に住民が集える場所をつくること。それはぬくもりのある場所が欲しいとの声を活かし、自分の家のような落ち着ける場所。それはこれまで手掛けたものとは全く異なるものだった。
『答えは、相手の中にある』
「我々はどこかで「こんな新しい建築ができたんだよ」ということを自慢し合っていたんですけども、そうではなくて、もっと現地の人と話し合いながら一緒につくると。そのことがいかに大切かということを学びましたね。」
プロフェッショナルとは?
「時代と共に、何か思考も変わっていき、そして、そこで発見したものを新たに試してみるという、いつまでもアマチュアと言った方が良いかもしれないですね。」
伊東豊雄建築設計事務所 – Toyo Ito
(http://www.toyo-ito.co.jp/WWW/index/index_j.html)
■ 10周年! あのプロに再び密着 世界的バレリーナ 50歳の闘い
最後に、苦しみを乗り越え復活を果たしたプロフェッショナルを訪ねた。バレリーナ:吉田都(50歳)。名門英国ロイヤルバレエ団で長年トップを務めてきた世界のプリマ。並外れたテクニックと磨かれた演技力。踊りの美しさはクラシックバレエの理想形とまで言われ、名誉ある大英帝国勲章も獲得した。
番組では6年前、44歳だった吉田の大きな決断を追っていた。それは英国ロイヤルバレエ団を引退し、世界の一線から身を引く決断だった。日本人というコンプレックスをはねのけ、10年以上バレエ団のトップとして牽引してきた。しかし、長年酷使してきた腰やひざは限界に近づいていた。
「体も硬くなってきますからね、年と共に。そういうなんかソフトさというか柔軟さみたいなものが、見た目でちょっとぎしぎししてきてしまったら嫌なので。やっぱり、自分の中のプライドですかね。やっぱり(辞めるのは)今だなって思うんですよね。」
その後、吉田は日本に拠点を移し、バレエを続けた。しかし腰やひざの状態は悪化の一途をたどる。ついにはジャンプをするのも難しい状態に陥った。それでも踊り続けたい吉田はある賭けに出ることにした。それは、体の動かし方を根本から見直すトレーニングへの挑戦だった。長年培ってきた繊細なセンスを失うリスクもあったが、吉田は踏み切った。
「とにかくやってみるっていう感じですかね。だから、体がまた、その新しいトレーニングによってバランスとかいろいろ軸が変わったりして、それでバレエを辞めなくてはならなくなっても、今だったらやっぱりどちらにしろ、もう無理になってきているのでという思いで始めたんですけどね。」
『「今」にすべてを懸ける』
「今の自分だからできることをもう今しかないと思ってやっていますね。もう後が無いですから。そういう心境になってきています。だからやはり1つ1つの舞台を、もしかしたら今回が最後かもしれないという気持ちで。本当に実際そういう状態なので。そういう気持ちで向っていますし、舞台でも踊っていますし、そういうことが変わってきたところですかね。」
プロフェッショナルとは?
「お客様に喜んでいただく舞台をつくることっていうのが、プロフェショナルなダンサーとしての仕事なので、もう本当に何があろうともいう感じですね。」
吉田都オフィシャルウェブサイト
(http://miyako-yoshida.com/)
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番組ホームページはこちら
(http://www.nhk.or.jp/professional/2016/0104/index.html)
→再放送 1月9日(土)午前0時55分~午前1時43分(金曜深夜)総合
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