本格的リニューアル構想中のため、一部表示に不具合があります m(_ _)m

(私の履歴書)樂直入(2)樂家の伝統 ひたすら初代と向き合う 一子相伝とは「教えないこと」

経営コンサルタントのつぶやき_アイキャッチ 新聞記事・コラム
この記事は約6分で読めます。

師の背中を見て学べ

おそらく、樂直入氏の「私の履歴書」を取り上げている時点で、私を知る人たちは、それだけで首肯しているに違いありません。そうです、職人、マイスターとしての生き様が大好きなので。

「伝統を守るのには特別な教育があるのでしょうね」。そう尋ねられて、父は「一子相伝で伝えることは何も教えないことです」と胸を張って答えた。実際、父は私に何も教えなかった。釉薬(ゆうやく)の調合法も、あえて書き残さない。「伝統とは決して踏襲ではない」。それが父の口癖だった。

2020/2/2|日本経済新聞|朝刊|(私の履歴書)樂直入(2)樂家の伝統 ひたすら初代と向き合う 一子相伝とは「教えないこと

最近の平成・令和という文字通り「平和」な時代に、「黙っておれの背中を見て学べ」「技は教えられるものではない、見て盗め」というやり方は本当に時代錯誤なものなのでしょうか?

過保護にしても研究者は増えませんよ

1996年度に日本政府が打ち出した「ポスドク1万人計画」によって、博士号取得者の増加を目指しました。日本社会の科学力向上から日本企業の競争力向上につなげようと、大学院の定員を拡大しました。しかしながら、企業も含めて博士人材の受け皿は不足してしまい、不安定な雇用に悩む多くのポスドクを生むという、政策目的とは逆の結果を招いてしまいました。

驚くことなかれ。主要国の中で日本だけが博士号取得者が減少しているというにわかには信じがたいことが起こっています。

ここでは、科学技術政策の巧拙を取り上げたいわけではなく、モノを学ぶ、という”態度”の在り様について、注意を喚起しておきたいと思います。

ポスドクの問題と、海外留学生の減少が現在の日本社会の停滞の結果なのか、停滞の原因なのか、統計的な因果関係の分析は専門家にお任せします。私が言いたいのは、留学にせよ、博士号取得のための研究・論文作成にせよ、何かを習得する、何かを学ぶためにはそれなりの”覚悟”が必要である、ということです。

政府が、企業が、予算やポストを用意してくれるから、そのまま留学生や博士号取得者が増えるのではなくて、学びの楽しさと同時に、学びにいそしむ際の厳しさを若い人たちによく理解してもらうことの方が大切ではないかと感じています。

カネやポストを与えるから研究者が増えるのではなくて、学びの楽しさ、学びの尊さ、学びの意義をきちんと理解してもらえさえすれば、自ら率先して、研究者や留学生は増えていくものだと思います。また、他者から誘導されるより、確固たる意志を持った人の方が、その後の厳しい修行も耐え抜けて、やがて本物になる確率は比べ物にならないほど高くなるのではないでしょうか。

You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。

イギリスの古いことわざ

どこまでいっても自発性・自主性が大事!

会社における立場として、ここ数年ずっと、若手コンサルタントの育成について議論したり、実際に教育の場での講師役を買って出たりしています。しかし、私の本音のところは、

コンサルタントは育てられてなるものではない。自分の手で自らをコンサルタントにするものなのだ。

大切なことは父の後ろ姿を見て学んだ。さらに毎年行う伝統行事は学びの場だった。まず1月4日の「手始め式」。仕事部屋で使う粘土板を洗い、座敷へ持ち込む。その年の歳徳神の方角に向けて据え付け、父が赤と黒の茶碗の下地を一つずつ手捏ねで作る。私に一切強要しない父が、この時だけは「ここに座って見ていなさい」と厳しい口調で命じた。父が終えると、次は自分の番。ストーブもない部屋は寒く、粘土は氷のように冷たい。小さく力の弱い手では形にできず壊れてしまう。それでも父は何も言わず、手も貸さず、ただ見守った。

2020/2/2|日本経済新聞|朝刊|(私の履歴書)樂直入(2)樂家の伝統 ひたすら初代と向き合う 一子相伝とは「教えないこと

父の背中を見て、何を感じ取るか、何を選び取るか、何をわがものとして獲得するか。その過程におけるすべてが学びであり、いくつもの失敗も含めて学びがあってこそ、成長し、やがては自分が目指していた”なにものか”に慣れる日がいつとは知れず訪れていた、という方が自然なような気がしてなりません。

自分の作品が残ることの意味

コンサルタントの仕事は、いわば黒子くろこの仕事です。いくつかの例外は脇に置いとくとして、誰がやったのか分からないうちに、どこかの企業のビジネスが成功したり、業績がV字回復したりしているものです。

私があの成功例をやりました、と吹聴して回るようでは、コンサルタントとしては並みです。本物は知らないうちに名が知れ渡るものです。また、世間に知られていなくても、そんな些事に囚われることなく、目の前のプロジェクトを淡々とこなす人がプロフェッショナルだと思います。

桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す
史記」李将軍伝賛

能などの芸能は演じれば消えてしまう「時間芸術」。だから幼児から徹底して型を教えこむ。巌(いわ)に水がしみこむように、そこから本人の芸が生まれていく。それに対し作品として残る我々の世界には、口伝は一切ない。学ぶのは先祖が残した茶碗。だから教えない。

2020/2/2|日本経済新聞|朝刊|(私の履歴書)樂直入(2)樂家の伝統 ひたすら初代と向き合う 一子相伝とは「教えないこと

コンサルタントの仕事は、時間芸術に属するものなのか、茶碗のように後世に残るものなのか、人によって定義もまちまちでしょうし、案件やコンサルタントごとに、その時々の事情で振り分けられるものかもしれません。

ですから、一概にいうことは難しいですが、各種ドキュメント、ITのような目に見えるシステム、ビジネスモデルや、企業業績という成績結果、プロジェクトに関係した人々が持つ思い出の中に、そのコンサルタントがやった業績は残っていきます。

私も、なんらかの爪痕を残そうと、プロジェクト毎にただ必死にやってきました。そういう意味で、私の中にも、いくつかの茶碗が存在しています。

まずは、その愛する作品たちを鑑賞してください、という気持ちで一杯です。使ってもらってよさを感じてもらうことに全生命をかけています。私は、コンサルティング業界での宮大工を自認しています。

味わい深い、噛めば噛むほど味が出るみたいな、見た目は派手ではないけれど、見た人の感性に訴える、そんな”いぶし銀”的風合いの作品を残してきたつもりなのですが、関係者の皆様方、如何でしたでしょうか? ^^)

コメント