猫の手も借りたい?
このシリーズは、G.W.ワインバーグ著『コンサルタントの秘密 - 技術アドバイスの人間学』の中から、著者が実地で参考にしている法則・金言・原理を、私のつまらないコメントや経験談と共にご紹介するものです。
外部リンク G.W.ワインバーグ氏の公式ホームページ(英語)
人を引き金として利用するのは、彼らがその仕事を志願したときであって、しかも彼らが自分はどういうことになるか正確に知っている、という場合に限定するのがよい。ボランティアを悪用することがないようにするには、自分の情緒的反応について知っている必要がある。
G.W.ワインバーグ著「コンサルタントの秘密―技術アドバイスの人間学」(P108)
サーキットブレーカーを自分で用意できない場合は、周囲の人に助けを求めるといいかもしれません。自分が危ない目に遭いそうなとき、周囲の人間から助言や気づきを与えてくれるように事前に頼んでおくのです。
自分の仕事にのめり込みがちなので、私は、あらかじめ逃れることのできないような仕掛けとして、第三者レビューを得られるように、自分の仕事の工程ごとにチェックポイントを設けておくようにしています。
私の数百倍手練れのワインバーグ氏でも、第三者の力に頼ることを厭いませんでした。ただし、いくつかの注意点も教えてくれています。
「課題の分離」で人間関係に縛られないようにする
まず、ワインバーグ氏が他の誰かを責めるような口をきいたら、そのことを彼に気づかせてくれるように、周囲の人間に頼みました。その習慣を続けていくうちに、ワインバーグ氏は、別のことに気づいてしまうのですが。
そもそも、他人を責める、という行為自体は、ワインバーグ氏自身の問題であって、彼が攻めている対象者やプロジェクト全体の問題ではないということです。
これは、私自身も襟を正す必要があるのですが、きつく他人のすることの是非を問うことは、仕事全体を上手に運ぶための最善策ではないということです。最上の策は、その相手が自発的に気づき、自発的に行動できるように導いてあげる、あるいは助けてあげることです。
これを逆側から見ると、アドラー心理学でいうところの、「他人の課題を自分が背負わない」です。
ちょっと話が逸れましたが、ワインバーグ氏はやがて、この引き金を、彼が他人を責めることを防ぐ目的で依頼したところから、(アドラー心理学流にいうところの)「自分と他人の課題の分離」を行う目的に見事昇華させました。
続けて、ワインバーグ氏は、コンサルあるあるについて言及しています。
コンサルタントは、依頼主が自分たちを責めはじめたときは、このことを心にとめる必要がある。たっぷりお金をもらってスケープゴートの役を勤めることを望むというなら別だが、それにしても意識的な選択をすることが必要である。
G.W.ワインバーグ著「コンサルタントの秘密―技術アドバイスの人間学」(P108)
つまり、自分の意志や行動内でコントロールできるものが自分の課題であり、そうでないものは他人の課題であること。他人の課題にまで責任感を持っていたずらに疲弊するのも得策ではないし、そもそも、その結果を享受(もしくは甘受)するのは当の本人であるという割り切りをしないと、生きづらい世の中でうまく世間を渡っていけないということ。
他人の口を借りて、サーキットブレーカーにする場合には、この課題責任のあり方に十分注意する必要があるようです。
想像たくましい人間の心は感受性が豊かであるがゆえに難しい
他人の口を借りるやり方のもうひとつの留意点は、他人からのインプットは情報量が多いだけに、それを利用した人の心の内に複数の連想や感情を生んでしまう恐れがあることです。
前回、ダイエットを心がけている友人シッドのお話をしました。彼が冷蔵庫を開けてアイスクリームを食べようとすると、自動的にスピーカーから「やあ、よく召し上がりますね」 という声が流れる仕掛けでアイスクリームを食べるのをためらわせる、というものです。
物理的装置として、サーキットブレーカーを準備するやり方についての説明はこちら。
結果的に、この仕掛けは「チェーンと錠前」より効果はなかったそうですが、さらに、副作用も併発していたそうです。それは、その声がシッドの父親を思い出させるものだったというのです。
シッドが太ったティーンエージャーだった頃、彼の食べ過ぎを父親が「あざけり」や「いたぶり」を交えて注意していたそうです。そうなると、皆さんもお気づきになられると思います。思春期の青年(少年?)ならば、そうした父親の声には自動的に反発して、余計に食べることに執着するのは当たり前であるということを。
手信号はあらかじめ自分の好みのものを準備しておく
さあ、これで冒頭のワインバーグ氏の言葉に立ち返ることができます。
どういうインプットが自分のアウトプットを導くか、その因果をよく知った上で、他人の目によるサーキットブレーカーを活用する必要性の重要性をご理解いただけたかと思います。
ワインバーグ氏の同僚ダニーは、ジェスチャー(本著では手信号と翻訳されている)で、我を忘れていることを知らせるように事前に取り決めていたにもかかわらず、実際に手信号を送られると、イライラしてしまい、その信号を無視するのだそうです。
一方で、ワインバーグ氏は、声だとしばしば聴きとれない場合があることを考慮して、手信号を好むのだそうです。
ダニーにとっては、手信号は親の子に対する支配の象徴であり、ワインバーグ氏にとっては、レフリーが送る情報以下でも以上でもない、という受け止め方の違い、ということです。
自分にとってのサーキットブレーカーは、他の人のものとは違うことが十分にあり得ることに留意して、他人から送られてくるサイン(ジェスチャー、手信号など)を決めておくのが利口だと思います。
まあ、私がプレゼンしているときに、クライアントが手元の紙に船を描き始めたのを目にしたら、いくら鈍感な自分でも、相手に自分のプレゼンが刺さっていない位は分かりますが、、、^^;)
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