■ 自軍の虚と敵軍の実 - 多勢に無勢でも勝利を呼び込む戦術とは!
① 隠密行動で敵の力を分散させる
敵軍には態勢を露わにさせておきながら、自軍の側は態勢を隠したままにすると、自軍は敵軍の配置が判明しているから、不安なく兵力を集中することができます。その一方で、敵軍は自軍の配置が不明なため、全ての可能性に備えようとして、兵力を分散させざるを得なくなります。
自軍は集中し、敵軍は分散していれば、たとえ総兵力で敵に劣っていたとしても、局地戦では、10倍の兵力で敵の個別部隊を個別撃破していくことが可能になります。
② 主導権を握る
自軍が全兵力を集結して戦おうとする地点を、敵は予知できないから、敵が兵力を配備する地点は多くなりがちになります。敵が兵力を配置する地点が増えれば、それぞれの地点で自軍と戦う兵力は手薄になります。前面に備える者は後方が手薄になり、左翼に備える者は右翼が手薄になり、全面に備えようとする者は、あらゆる地点が手薄になります。
それぞれの地点の兵力が手薄になるのは、相手の出現に備える受け身の立場になるからです。常に、会戦地点での兵力が優勢になるのは、相手を自軍の出現に備えさせる主体的な立場だからです。
③ 急速な兵力集中を実現する
戦いが起こる地点が事前に判明しているならば、たとえ千里の遠方であっても、確実に戦場に到着して戦えます。戦いの起こる日時も予知できず、戦いが起こる地点も予知できないのでは、前衛は後衛を救援できず、後衛は前衛を救援できず、左翼は右翼を救援できず、右翼は左翼を救援できません。
軍内部ですらこの始末だから、ましてや遠い場所では数十里、近い場合でも数里先に展開中の友軍に対しては、なおさら戦闘に間に合わないのです。
以上のことに留意すれば、たとえ敵の総兵力がどんなに強大でも、各地に分散させて、一ヵ所に集結して戦えないようにすることができるのです。
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孫子のこの言葉は、「ランチェスターの法則」による勝利条件のそれと同一です。弱者が強者に勝つ方法は、「兵力の集中」。いかに大軍であっても、小さい部隊に分散させて、自軍の全兵力を持って個別に戦えば、常に数の優位に立ったうえで、次々と勝利を手に冷めることができ、そうした局地戦での勝利の積み重ねがいつの間にか敵軍を打ち破っていることになる、という理屈です。
コトラーのマーケティング戦略によれば、「ニッチャー戦略」。ポーターの競争戦略によれば、「差別化戦略」。西欧の経営戦略家たちも、約2500年前の戦略書の古典「孫子」を必ず目にしているはずです。
有名な戦史を辿れば、1560年(永禄3年)の「桶狭間の戦い」で、2万5000人の今川軍を、たった3000人(実働部隊の人数)の奇襲で破った織田信長の勝ち方とダブります。信長は、清洲城に籠城するか野戦に打って出るか、評定をいたずらに長引かせ、今川方には籠城戦になろうとする風聞を伝えさせ、自軍の行動を今川軍に明らかにしないようにします。
その上で、午後1時頃に始まった雹(ひょう)交じりの豪雨が空けた時に、桶狭間(田楽間)で昼休憩をしている今川本陣(5000~6000人)に対して、午後2時頃に奇襲をかけます。その奇襲部隊は、熱田神宮経由で善照寺砦から出撃したもので、信長軍の統率と急速な兵力集中の素晴らしい組織統率の努力がここに見えます。
桶狭間の戦いは、日本三大奇襲戦のひとつとして、織田信長の名前を全国区に一躍押し上げるものとなりましたが、それ以降、信長は、戦いに挑むにあたって、必ず敵軍より多い数の部隊を投入することにこだわります。情報収集戦に長けた信長にとっても、桶狭間の戦いは薄氷を踏む思いだったのでしょう。
現代のビジネスにおいても、ニッチ市場でまず大企業に勝利し、そこでの先行者利益を累積させ、さらなる顧客深化の投資に振り向けるか、次のニッチ市場への展開のための事業開発投資に振り向けるか、市場環境次第なのでしょうが、個別のニッチ市場での勝利(顧客獲得と累積利益)を矢継ぎ早に続けていくことこそ、大手に勝利するキーポイントのひとつではないかと思います。
そのためにも、
①情報、②隠密行動、③ニッチ市場での主導権、④機動的な指示行動・意思決定、
この4つが必要であると2500年前の戦略古典書『孫子』が我々に語りかけてくれているわけです。
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