経営戦略概史(17)キヤノンとホンダ 無鉄砲な日本企業たちの躍進 - この2社の躍進がケイパビリティ学派登場のきっかけとなった

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■ 絶対王者ゼロックスに挑んだキヤノン

経営戦略(基礎編)_アイキャッチ

「経営戦略」の歴史を、三谷宏治著「経営戦略全史」(以下、本書)をベースに説明していきます。今回は、ポーターが開祖のポジショニング学派と大々的な論争を繰り広げたケイパビリティ派誕生の契機となった日本企業の米国での躍進の様子を整理します。

1962年当時、普通紙複写機市場でゼロックスは、600件にも及ぶ特許と、従量課金のレンタル方式を採用することで、鉄壁のビジネスモデルを築き、参入障壁の非常に高い市場を構築しました。従量課金のレンタル方式がなぜ高い参入障壁となり得るかというと、ユーザ(消費者)は複写機の購入が必要ではないため、オフィスに導入しやすい代わりに、複写した分だけ料金を支払うということは、複写機本体の開発・製造コストという初期投資は全額ゼロックス持ちとなり、ユーザがコピー1枚した分から初期投資コストを回収するというゼロックス側が多大なる資金コストを負担する(現代風に言うと、キャッシュコンバージョンサイクル(CCC)が長い)必要が生じるからです。大資本を有する企業でないと同じビジネスモデルで競争できない理屈となります。

それゆえ、ゼロックスのビジネスモデルに正面から立ち向かおうとする企業は世界に1社もありませんでした。つまり、ポジショニング派的に表現すると、

「普通紙複写機市場は、大きく成長しそうな市場で「儲かりそうな市場」ではありましたが、「儲かる位置取り」があり得なかった。(本書P157)

それゆえ、ポジショニング派に言わせれば、キヤノンの挑戦の複写機市場参入は無鉄砲な日本企業の暴挙以外の何物でもありませんでした。しかし、キヤノンは、1962年の第一次長期経営計画で多角化を謳い、たった数名の技術者から始めて8年の歳月(1970年)で、普通紙複写機NP-1100を88万円で発売しました。さらに、1982年にはカートリッジ方式を採用した3色カラーのミニコピアPC-10を24.8万円で投入し、ゼロックスの牙城である大企業市場を巧妙に避け、中小・零細企業市場での主力機の地位を築くことに成功します。

ポジショニング派の発想とは真逆で、当時のキヤノンの経営者は、

「ゼロックスの独占市場なのなら、大きなチャンスだ。他が入ってこないのだから、もしうちだけ入ればシェア50%取れるじゃないか」

そう考えたそうです(本書P157)。

 

■ ビッグ3に技術で挑んだホンダ

北米の自動車市場は、T型フォード以来60年間、フォード、GM、クライスラーのビッグ3に慣れ親しみ、日本製の小型車の入り込む隙間は無いように思えました。しかし、ホンダは、1963年に自動車製造に乗り出し、1970年には米国市場に参入しました。参入当時の企業規模格差は、対GMで68倍、対クライスラーで13倍以上の差があり、常識では参入不可能と考えてもおかしくありません。しかし、ホンダの経営者は、次のように考えます。

① 日本市場ではトヨタ・日産の勝てるわけがないので、より市場の大きな米国で勝負する(決意)
② 米国では、1970年にマスキー法が議会を通り、「5年以内に排気ガス中の有害成分を10分の1にする」ことが義務付けられたことはチャンス

ホンダ技術陣の総力を挙げた環境エンジンCVCCは、見事世界で最初にマスキー法基準をクリアしました。さらにそこに訪れたのが第1次オイルショック(1973年)。ホンダの小型車は低燃費で排気ガスが少ないと注目を浴びるようになったのです。

 

■ 現地生産の壁を破ったホンダとポジショニング派の大家 リチャード・ルメルト

1977年ハーバードビジネススクール(HBS)の重鎮リチャード・ルメルトがMBAの学生に、「ホンダは世界の自動車産業に参入すべきか」という問題を出題しました。ルメルトは、「Yes」と解答した答案に落第点をつけました。その理由とは?

① すでに市場は飽和状態にあった
② 優れた競争相手が、既に日米欧に存在していた
③ ホンダは、自動車に関する経験が皆無に等しかった
ホンダは、自動車の流通チャネルを持っていな/かった
(本書P159)

③については、「経営戦略概史(13)ヘンダーソンによるBCGの誕生と3つの飛躍- PPM、経験曲線、持続可能な成長率」で触れたように、大量生産・大量販売による同一製品の累積生産量を増やせばその分、生産技術が高まり、コストダウンにつながり、競合他社に対して相対的コスト優位で市場で売り勝つことができる、という論拠によるものです。

④については、「経営戦略概史(12)コトラーによる「マーケティング・マネジメント」- STP・MM・PLC戦略を体系化」で触れたように、4P(MM:マーケティング・ミックス)における、「流通チャネル(Place)」という経営資源の蓄積がないことによるマーケティング戦略の不備を突いたものです。

では実際はどうだったのでしょうか。ホンダは、入交昭一郎に率いられた生産会社HAMは、従業員をワーカーではなくアソシエイトと呼び、ホンダの哲学や生産理念を現地流に引き直した「ホンダ・ウェイ」を作り上げ、圧倒的な高品質・高生産性の現地生産会社としました。具体的には、ロボットによる溶接や迅速な金型交換などによる一貫生産によって、大量生産に依存しない高生産性を実現し、「規模の利益」「経験曲線」という従来の経営論の常識を覆すことに成功したのです。

本書で紹介されているこぼれ話によりますと、上記ルメルトのMBA試験から8年後の1985年、彼の奥様の愛車は、ホンダ車になっていたそうです。(^^;)

 

■ パスカルの「ホンダ効果」がケイパビリティ派に扉を開いた

自動車で米国市場を席巻する前、ホンダは二輪車市場において、従来はハーレー・ダビッドソンの中大型車しか走っていなかったところ、小形車(スーパーカブ)市場を新たに創造し、それを橋頭堡に中大型バイクでもトップシェアを占めるようになりました。逆にこの二輪車での成功で目立ったことが、自動車市場への参入に否定的な意見が主流になった遠因ではないかと筆者は考えていますが。

この米国でのホンダの躍進に恐れをなしたイギリス政府は、BCGにホンダ快進撃の分析を依頼します。

① 経験曲線に基づくコストリーダーシップ戦略により、圧倒的な高品質・低価格で市場に浸透していった
② 市場セグメンテーションにより、従来は中大型バイクだけだった米国で小型バイク市場の創造に成功した
③ 小型車の経験曲線による学習効果を中大型車にも生かすことで、中大型車の生産コストも低減させる共有コストの利を得た

残念ながらこのリポートがイギリスのバイク産業を救うことはありませんでしたが、ポジショニング的企業・事業戦略の典型として、ホンダの米国二輪車市場でも躍進は、ビジネススクールの教材として盛んに使用されることとなりました。

このBCGが作った流れに強烈にパンチを繰り出したのが、マッキンゼーのリチャード・パスカルの『戦略の視点~ホンダの成功の背後にある本当の物語』(1984年)でした。当時のホンダ経営幹部6人対するインタビューによる研究成果でした。

「ホンダに当初、明示的な戦略は無く、ホンダの「戦略」は失敗を積み重ねる中で創発的に生れ出たものだ」(本書P163)

① なぜ米国で小型バイクを販売しようと思ったのか?
最初はアメリカ人にバカにされたくなくて中大型バイクを売ったが、大して売れなかった。社員が商用で乗り回していたスーパーカブに人気が集まり、カブを売ったら大当たりした

② 売上目標はどうやって決めたのか?
直観で。欧州からの輸入車のシェア10%程度は獲れるだろうと思った

③ なぜ欧州ではなく米国を選んだのか?
本場の米国でどれだけやれるか試したかったから

パスカルの示した「ホンダ効果」は、
・人間的要素
・計画的より創発的
であることの重要性を強調し、それまでポジショニング派が依拠していた大テイラー主義(分析ですべてのことが分かる)の根幹を揺るがすものとなりました。

※「ホンダ効果」:ホンダの成功(という結果)に引きずられて、原因やプロセスまで素晴らしいものだと感じてしまう心理学における「ハロー効果」をもじったものと考えられる

 

■ キヤノンはケイパビリティからポジショニングを決めた

冒頭紹介したキヤノンの複写機市場のケースはどう考えたらいいでしょうか? 

キヤノンにはさまざまな「ケイパビリティ」がありました。それを活用して参入しうるところを探したら、それが複写機市場だったのです。「ケイパビリティ」が「ポジショニング」を決めたのです。(本書P165)

キヤノンが参入した複写機とは、いわば電子写真です。必要なのは、①電子、②機械、③化学分野の技術です。もともとがカメラメーカーですから、光学と機械技術はお手のものです。電子技術も、大失敗に終わった新規事業:シンクロリーダーの時に採用したエレクトロニクス技術者100人の活躍によるものです。また、彼らは世界初の自動露出一眼レフカメラAE-1(1976年)の開発の中核でもありました。つまり、社内に有為な人財が先に居て、彼らの優秀の能力を生かした事業が後から作られたのです。

当然、当時のキヤノンには多角化の意思と長期計画はありましたが、市場選択の基準は、「儲けられる市場」「儲かる位置取り」といったポジショニング的発想ではなく、実際に選択したのは複写機市場という「参入の難しそうな大きな市場」でした。その高い参入障壁を乗り越えられる社内技術の高さ(それこそがケイパビリティ!)が所定の期待値を満たせばよし、そうでないなら撤退!

こうして、ポジショニング派とケイパビリティ派の大論争の幕が切って落とされました。(^^;)

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