■ 株主価値偏重の企業経営に一石を投じた「バランスト・スコアカード」
「経営戦略」の歴史を、三谷宏治著「経営戦略全史」(以下、本書)をベースに説明していきます。今回は、バランスト・スコアカード(BSC:Balanced Scorecard)により多様なステークホルダー間の利害調整を上手にこなす秘宝を授けてくれたキャプランとノートンの紹介となります。
ロバート・S・キャプラン(ハーバード・ビジネス・スクール教授)とデビッド・ノートン(コンサルタント会社社長)が1992年に「Harvard Business Review」誌上に「バランスト・スコアカード」を業績評価システムとして発表しました。
これがどれくらいの衝撃だったのか、そして「バランスト・スコアカード」が企業経営の何に大きな影響を与えたのかを知るためには、背景となる当時のアメリカを中心とした企業経営の潮流(トレンド)が大きく関係していることを理解する必要があります。戦後の株式市場の動向から振り返ってみることにします。
■ 儲からなければ株式市場ではない!?
1950年代から米国株式市場では、大企業を中心とした労組がペンション・ドライブを展開したことで企業年金の普及が進みました。ミューチュアル・ファンド(MF)と年金基金がいわゆる機関投資家として強い存在感を示し、1967-1974年の全米株式取引に占めるMFの割合は平均20.5%に達し、全機関投資家では実に44.0%を占めるようになりました。
個人投資家から預かった資金を高利回りで運用する必要がある機関投資家が恒常的に実現する必要がある収益性はどれくらいでしょうか?
外部リンク投資家が知りたくない期待収益率の真実|THE WALL STREET JURNAL(日本語)
その後、よりハイリスクハイリターンを好むヘッジファンドが1980年代から勢いを増していきます。中でも、買収先の資産を担保に買収資金を借り入れ、買収後、企業資産を切り売りして高レバレッジを解消して高い収益を上げるLBO(レバレッジド・バイアウト:Leveraged Buyout)が1980年代に隆盛を極めました。コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)が総額300億ドル超、負債の調達比率8割でRJRナビスコを買収したのがその好例です。
株式市場におけるこうした機会主義ともいえる短期的な株主の行動が経営者に影響を与えないわけがありません。敵対的な投資家からの買収を避けるため、または積極的に自らがM&Aにより企業規模を拡大するため、猫も杓子も株価偏重の経営が行われ、投資家(株主)も経営者も気にする経営指標は、ROE(自己資本利益率)、EPS(一株当たり利益)、PER(株価収益率)、PBR(株価純資産倍率)といった、株式または短期利益に関連するものばかりとなりました。
■ バランスト・スコアカードが与えた新しい視点
キャプランとノートンはそうした短期主義、財務指標偏重主義に警鐘を鳴らし、もっと有効な業績管理指標と業績管理手法は、企業の持続可能性を高めるに資する成長性と収益性を最も大事にすべきもののためにあるとしました。さらに、そうした業績管理指標(KPI:Key performance indicators)を可視化することで、経営管理の有効性、従業員同士の相互理解の深化も企業パフォーマンスの向上に帰結することを明らかにしました。
(以下、本書P243-245を要約・加筆)
- これまでの財務指標による業績管理方法は、過去の財務実績に頼るもので、環境変化の激しい将来に必ずしも有効であるとは言い切れない
- 利潤を追求する企業である以上、利益を上げることが最終的な目的であることは間違いない
- 但し、利益指標を直接見ていても、利益を向上させる施策のヒントが見いだせることはまれである
- むしろ、財務指標を中長期的に向上させるために、財務以外の経営管理指標を観察して、企業行動を修正する必要がある
- 最終的な財務指標を改善するために、貢献する非財務指標が何で、非財務指標がどれくらい改善すると最終的に利益が良くなるか、その相関を分析できれば、より適切な企業行動に導くことができる
■ 「戦略マップ」が語っていること
厳密には、「バランスト・スコアカード」と「戦略マップ」はツールとして使い分けるものです。しかし、それを簡単に解説しているものがあまり見当たらないので、一般にはこれらが異なるものという認識は薄いようです。
「バランスト・スコアカード」は、戦略マップで描かれた各要素(戦略、施策、あるいは時にはKPI自身だったりする)の実行状況や結果を数値で表示することで、どれくらいの水準にあるかを評価するものです。
では、「戦略マップ」「バランスト・スコアカード」を眺めて、何が一番可視化されて効果的だというのでしょうか?
企業経営者が気にかけるべきKPIを4つというシンプルなグルーピングで示した
- ・財務の視点
- ・顧客の視点
- ・内部プロセスの視点
- ・学習と成長の視点
各視点で整理されたKPIは、遅効性のものと即効性があるものに分けられる。しかもそれらには、合理的な順序関係があることを示した
- ・従業員満足を高める
↓ - ・業務品質が向上する
↓ - ・顧客満足が高まる
↓ - ・結果として、財務的成功がもたらされる
みなさんも、厳しいビジネスの現場で、例えば予算編成において、「来期は売上・利益を少なくとも2倍になるような目標を立てよ」と業務命令が下り、「1年程度のことでそんなに業績をすぐには変えられないよ」と愚痴ったことは一度ならずあるのではないでしょうか。
そう感じたみなさんなら、このBSC、戦略マップが本当に言いたいことに強く共感できるのではないでしょうか。来期の増収増益は、それまでの幾年にもわたった、従業員教育やR&D投資、そして顧客ファーストのホスピタリティ溢れる接客態度がなせる業だということを。
■ 「バランスト・スコアカード」の経営戦略史における位置づけ
最後に、本書P244-245から、キャプランとノートンがどういう足跡を残すことになったかをまとめさせていただきたいと思います。
BSC自体は良くも悪くも、経営管理ツールであって、それ自体が経営戦略手法というわけではありません。経営戦略は所与であって、経営戦略の実行面や管理面に焦点を当てたものになります。
しかし、すべての経営戦略に起因する企業行動、企業内各所で管理されるべき業績指標(KPI)は、整合的な経営戦略の実行のためには、全て何らかの因果関係によってつながっていなければならない。これを強く思い出させてくれる素晴らしいフレームワークなのです。
そういう意味で、
(本書P245)
という締めの言葉にはストン、と腑に落ちるものがありました。
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