ナッジで人の心理に働きかける(1) 2017年ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授の行動経済学

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■ なにはともあれ、便器にハエ これが「ナッジ」

経営管理会計トピック

2017年10月にノーベル経済学賞受賞者:米シカゴ大学リチャード・セイラー教授を取り上げた記事もようやく落ち着きを取り戻したので、ここで記事まとめといきたいと思います。なにはともあれ、私も直接目にしたのはかれこれ13年前のオランダ、スキポール空港の男子トイレなのですが、この写真をご覧ください。

20180331_ナッジ_スキポール空港の便器のハエ

(出典:スキポールのトイレのハエ|Tamaki Sono

この便器にエッチングされたハエの絵が、飛散を従来比80%もカットし、トイレを清潔に保つことに成功したのです。ターゲットを発見すると、そこに命中させようとするのが男子の本懐だからです(笑)。これは筆者の憶測なのですが、一部の哺乳類のオスは、自分の縄張りを誇示するために、自分の匂いを必要ポイントにマーキングします。つまり、これは生物のオスとしてDNAに深く刻まれた習性を利用したものと解釈することができます。

とりあえず、「ナッジ」=「便器のハエ」とまずは認識しておいてください。難しい理屈は追々説明していきます。

 

■ デザイン思考にも影響する「ナッジ」

筆者は経営コンサルタントとして、プレゼンテーション資料を作成するための虎の巻をいくつか持っているのですが、本書はその中のひとつ。

上書p200-201に「ナッジ(Nudge)」が次のように紹介されています。

選択肢を制限することも、特別な報奨を用意することもなしに、行動の修正を促す手法

この手法には一定のパターンがあり、そのパターンにしたがって人の行動を知らず知らずのうちに意図する方向へ誘導することになります。

① 好都合なデフォルト(初期設定値)
当たり障りのない選択肢ではなく、当初からできるだけ都合の良い、最も望ましい選択肢を選べるようにします。

② 明確なフィードバック
対象者が示した各種行動について、可視化された明確なフィードバックを即座に提供します。

③ 目標に直結する報酬
望ましい行動が採られたなら、その行動に即した報酬を与えます。絶対に行動結果と報酬基準に矛盾に矛盾があってはいけません。

④ 選択肢の構造化
複雑な問題をできるだけシンプルかつ明瞭に理解できる手段を提供してあげることで、相手の意思決定を促進させます。

⑤ ゴールの可視化
対象者の行動の成果を簡単に測定できる仕組みを作って、成果も一目で分かる表示になるようにします。

このように、対象者を目標に対する自身の達成度をすぐに評価できるようにし、報酬授与基準も明確に示されていれば、相手をこちら側の意図通りに誘導しやすくなるのです。

「人の心を動かす」という意味では、マクロ経済における国民の消費態度、企業経営における従業員の報酬制度、行政における住民への各種インセンティブ施策。様々な分野で応用が効く考え方だということができます。当然、経営コンサルタントがクライアントを説得するためにプレゼンテーション資料にも。(^^;)

 

■ セイラー教授いわく「行動経済学」は「心の経済学」

これからセイラー教授の理論を順を追って記事にしたがって解説していきたいと思います。

2017/10/11付 |日本経済新聞|朝刊 ノーベル経済学賞セイラー氏 政策や企業活動に応用例 経済学に心理学反映/「人間、合理的でない」

「2017年のノーベル経済学賞は米シカゴ大学のリチャード・セイラー教授(72)に決まった。授賞理由は心理学を経済学に反映させたこと。つまり人の「心」を組み込んだ経済学をつくったということだ。人間はだらしなかったり、短絡的だったりするけれども、「ナッジ(nudge=小さな誘導)」を与えれば社会を良く変えられる。そんな彼の理論は、米国や英国、日本でも政策や企業のマーケティングに応用され始めている。」

(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます

(下記は同記事添付の「セイラー氏=ロイター」を引用)

20171011_リチャード・セイラー

従来の経済学は人間を「ホモエコノミクス」=合理的な経済人、と仮定し、常に合理的に、簡単言えば、常に損しないように、常に得するように行動するという前提にたって、経済学の様々な理論を形成させてきました。

一方で、ハーバート・サイモンが「限定合理性」の概念を提唱し、複雑な問題を解く人間の認知能力の限界を説いていました。人間は、合理的であろうと意図するけれども、自分自身の認識能力の限界によって、限られた合理性しか経済主体として持ち得ないというものです。

例えば、期待値が1.0未満である宝くじをどうして世の中の人が喜んで買うのか、という問題に対する見解にその違いが見て取れます。まあ、期待値が返金額に加えて、わくわく感とかスリルも足し込めば、宝くじの購入行動は、完全に経済合理性のある判断であると強弁することもできなくはありませんが。。。

セイラー教授は、心理学出身のダニエル・カーネマンらの研究に導かれながらホモエコノミクスの世界からヒューマンの世界、行動経済学の展開にかかわっていくことになります。セイラー教授を有名にした「ナッジ」の概念は、「選択アーキテクチャー」とでも呼んだ方がよりしっくりくるかもしれません。ヒューマンは予測可能なエラーをするので、エラーが発生する確率を減らすような政策を考案しようというものです。

 

■ 「人間は合理的ではない」というテーゼから出発

セイラー教授の理論のメインストリームは、

人間は合理的ではない。
合理的ではないことを前提に、世の中をよくする理論を考える。

「ナッジは英語で「相手を肘で軽くつつく」という意味。セイラー氏は、人それぞれの選択は尊重した上で、選択肢を工夫すること(これがナッジ)で、世の中を良くしようとする。」

トイレを清潔に保つために、オスのマーキング本能を活用して、飛散を防ぐ。実にシンプルな理論です。このままだと、心理学のお話になるのですが、これを経済のお話、経済的な課題解決の手段に活用できるように実用化したところがまたすごい。

(1)老後の資産をどう増やさせる?
米国で企業年金に加入する人を増やすために、セイラー教授が自由加入プランを考えました。その効果があって、2011年までにこのプランを利用した人は約410万人にのぼり、2013年までに年間の年金貯蓄額は76億ドル(約8500億円)増加したとセイラー教授は試算しています。そこで用いたナッジは次の通り。

「加入しない」とか「掛け金を上げない」といった目先の手続きを面倒くさがる人間の特性に着目します。前者には「自動加入」、後者には「自由解約可能」という仕組みを用意しておきます。労働者は年金加入を検討する際、途中で死んで年金がもらえないことを考えて躊躇することを考慮した制度設計になっているのです。さらに、賃金が上がるにつれて掛け金が自動で増える仕組みにしておくと、さらに老後の資産を積み増すことができます。

こう聞くと、日本の年金の制度設計も捨てたもんじゃない、と思ってしまうのですが。(^^;)

(2)日本でも震災後は節電にナッジ理論を活用
日本でも家庭に省エネを促すため、ナッジ理論を活用しました。日本政府が「地球環境に優しくしましょう」と清く正しいスローガンをいくら呼びかけても効果は薄いのは明白でしょう。しかし、各家庭に「あなたの地域で同じ家族構成の家では、節電によって電気代がこれだけ減りましたよ」といった文書を送るとどうでしょうか。文書を送られた家庭が節電を心がけるようになったそうです。こうした手法は東日本大震災以降、電力会社が節電を促すための手段として実運用されているのです。

「地球に優しく、節電しましょう」という広告を打つコストと、節電効果をうたったパンフレットを配布するコスト。どっちが安上がりで効果が大きいか。コスト-ベネフィットを考えれば、一目瞭然でしょう。

人の心に訴える。損得勘定ではない、非合理的な人間の本性に突き刺さる「ナッジ」。次回はもう少し小難しくなりますが、実際の政策に絡めたお話をつづけたいと思います。

(連載)
⇒「ナッジで人の心理に働きかける(1)2017年ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授の行動経済学
⇒「ナッジで人の心理に働きかける(2)2017年ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授の行動経済学
⇒「ナッジで人の心理に働きかける(3)2017年ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授の行動経済学
⇒「ナッジで人の心理に働きかける(4)2017年ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授の行動経済学
⇒「ナッジで人の心理に働きかける(5)2017年ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授の行動経済学
⇒「ナッジで人の心理に働きかける(6)2017年ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授の行動経済学

(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。

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