自己保身も過ぎると見苦しい - 情けは人の為ならず

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■ 自然界に見る弱肉強食と利己的な行動について

ドーキンズ博士の「利己的遺伝子」を持ち出すまでもなく、人間を含む生物とは押しなべて利己的なものです。ここで「利己的」とは、「自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高める」ように行動することを意味します。

ただし、「利己的」に行動した結果、観察者からは「利他的」に行動しているように見えることもあります。例えば「共生」。共生にも、双方の生物種がこの関係で利益を得る「相利共生」、片方のみが利益を得る「片利共生」があるのですが、イソギンチャクとクマノミの場合は、学説によるのですが、クマノミは外敵から身を守り、イソギンチャクは餌の捕食などの利得があるとする相利共生と考えられます。

結局は、イソギンチャクもクマノミも「利己的」に行動した結果、共生という生活形態を得たといえます。人類の祖先も、アフリカ大陸のサバンナで群れをつくり、外敵から身を守り、やがては群れ(血縁関係・家族から構成)の中の弱い個体(子ども、老人)を庇護することで、数を増やしていきました。

ちょっと脱線しますが、草食動物の群れは、捕食対象とする肉食獣に数で対抗する術と考えられていますが、真実は、群れの中の弱い個体を捕食させることでその他の健全な個体を守る、という一般的な群れのイメージと実際に起こっている食物連鎖の実態とは異なります。

このように、自然界では、弱肉強食、利己的行動が当たり前なのです。

 

■ 人間社会に見る個体としての利他主義、遺伝子としての利己主義について

近代経済社会の形成の中で、それまで独立商人・職人だったものから、工場制手工業を経て、多くの勤労者は分業体制の中で、組織で仕事をすることを選んできました。一人一人が専門能力を高め、それぞれの得意・不得意を見極め、努力一単位から得られる経済的利得を大きくし、それを皆で公平に分けることで、結果として一人で得る利得より多くのものを得る組織・経済構造を作ってきました。

一見、分業の中で誰かに奉仕・貢献する形で労働力を提供するので、労働者という個体としては、利他的な行動に見えても、経済的な分け前が増えるので、そのお陰でより豊かな消費生活ができる、という意味で利己的な行動であるともいえるのです。

それは、福祉国家でも同様のことがいえます。健康保険や年金制度が充実していれば、老後や健康を不安に思わず、目の前の労働に集中してより多くの財貨を生み出すことができます。また、一定額を健康保険料や年金掛け金として国庫に預けることで、大きな金額を投資運用に回すことができます。これも、納税者・保険料納付者としては利他的でも、自己保身という意味では、利己的な方法を選択していると言えるのです。

それゆえ、自然界でも人間社会でも、利己的行動、利他的行動というのは、十分に観察・分析しないと、判断がつかないものなのです。

筆者が職場で自分の仕事の手を休めて若手の教育に時間を投資するのも、若手がやがては一人前になって、頼める仕事の量と質を高めて、チームとしての生産性を高めてくれるという信頼があってこその行動と考えています。俗な表現でいうと、これにクライアントが作業品質に対する満足度が高まるという要素を含めて、「三方良し」「Win-win」とも言いますね。

 

■ その上で、見苦しい自己保身とは?

多かれ少なかれ、仕事上の関係、友好関係、親戚関係など、人間関係は愛情や貨幣価値、機会など、何かの価値を交換しながら、相互利他の精神で「仲間」活動を実践します。その方が、これまで見てきた通り、最終的な利得が最大になると考えるからです。

デヴィッド・リカードによる比較優位・比較生産費論とは、自由貿易を活発にした方が、保護主義で自国の産業を保護するより、各経済主体が(複数あり得る自身の優位分野の中から)自身の最も優位な分野(より機会費用の少ない、自身の利益・収益性を最大化できる財の生産)に特化・集中することで、それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようになることを意味します。

だからこそ、トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」はたいそう見苦しくはありませんか? それは、皮膚感覚として、皆が比較優位論を正しいと考えているからなのです。

それは、クライアントやメンバの要請を無視して人事を壟断したり、受注機会を特定の人に振り分けることで、組織全体の利得を少なくする行動をする人を観察している時に知覚してしまう不快感と同種のものなのです。

情けは人の為ならず

最近は、この語も誤解されて受け止められており、「情け」をかけるとその人が堕落して成長しないので、厳しく接しましょう、という意味で解釈されることも多々ありますが、原義は、「他人に情けをかけると、まわりまわって、いつかは自分の得になるような結果が得られますよ。進んで人には親切にしましょう」ということを諭すための言葉でした。

損して得取れ

とも言いますね。目先の欲に囚われて、右往左往する人は、

朝三暮四

で騙される猿と同じように目に映ります。自分に害が及ばない限りは、かわいそうにと憐憫の情に駆られますが、その右往左往する人から直接の被害を受ける立場になってしまうと、こちらも最低限の自己保身のために対抗手段に訴えるしかない状況になりますね。

そうなると、お互いが所属する組織全体の福利・効用が減少してしまうのです。それゆえ、そういう人が周囲に居る場合は、その人の悪あがきが早く終わるように、じっと待つか裏で手を回すしかありません。最悪の場合は、巻き込まれ事故を回避するために、我が身をどこかに避難させる必要もあります。

くれぐれも、そういう人を直接、自分の手で裁こうとは思わないように! それは自分にとって損な役回りになるだけです。

⇒「ニーチェ(3)私はあなたに助言する。友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな!

そしてそういう人は得てして馬鹿なのです!

⇒「物語シリーズ(1)無知は罪だけれど、馬鹿は罪じゃないものね。馬鹿は罪じゃなくて、罰だもの。 - 戦場ヶ原ひたぎ

そういう人は半面教師にして、あなたは周囲から愛される存在になってください。

⇒「ゲーテ(2)愛は支配しない、愛は育てる。

そこまで気づくことができれば、見苦しい自己保身を実践する人のことはもうどうでも良くなり、精神衛生上、楽になります。必ずお天道様は見ていてくださっています!

自分ファーストの人はやがて自滅します。私は、クライアント・ファーストを貫き通す覚悟です!

えっ、説明がくどい?
だって、自分の過去の言葉を振り返って、自分に繰り返し言い聞かせているから。(^^;)

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