■ 会社経営をするうえでのマインドセットとしては正しいステートメントです
欧米流のコーポレートガバナンスが日本市場に流入してきて、株主重視の経営というものが声高に叫ばれている昨今です。筆者のそこそこのビジネス経験でも、そうしたブームは2回経験しています。2000年当初の会計ビックバンの頃の脱日本的経営(長期的視点による投資、持ち合い株式などを棄却)がコーポレートガバナンス1.0としたら、2014年以降の「ROE重視の経営」は、さながら、コーポレートガバナンス2.0とでも申しましょうか。
コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)やスチュワードシップ・コードなど、経営者の皆様に対する外部からの圧力が強まっている昨今、次のようなコラムが目に留まりました。
2017/7/25付 |日本経済新聞|夕刊 (十字路)経営者の意識
「日本を代表する名門企業のトップによる謝罪会見が後を絶たない。不適切会計や民事再生法適用を陳謝する場面などで、いつも違和感を覚える言葉が「株主をはじめとする」「債権者をはじめとする」といった枕ことばである。」
このコラムの筆者は、鎌倉投信社長の鎌田恭幸さん。鎌倉投信は、「結い 2101(ゆい にいいちぜろいち)」という投資信託を運用・販売している会社で、その投資スタンスと銘柄選定は浮利を一切負わず、本当に長期的に応援したい会社に長期的スパンで投資するというものです。とある銘柄の値が上がれば、ある一定枠だけ売却し、全投資銘柄の構成比を一定に保つユニークな投資ポートフォリオを売りにしています。
● 鎌倉投信のホームページはこちら
(参考)
⇒「時代にあらがう、信念の金融 ファンドマネージャー・新井和宏 2015年5月11日OA NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」
鎌田さんによれば、冒頭のそうした外向きの言葉遣いが、「経営者の意識が“普段から”どこに注がれていたか」に着目し、「会社の屋台骨を支える一番身近な社員に対して、心からざんげし経営責任を真摯に説明しているかが気がかりでならない。」という懸念を示されています。
さらに、経営危機は外部要因より、経営者の意識に代表されるように、企業内部にいる人達の志(こころざし)の低さや真摯さの無さが招くという意見にも大賛成です。
「会社は景気変動などの外部要因によって危機にひんすることは少ない。多くの場合、経営者の意識が社員や顧客、下請け等の協力会社に注がれていないことや慢心、危機感の希薄化が、長い時間をかけて組織の当事者意識を侵食し、何かをきっかけに一気に表面化する。問題の本質は内部要因で、その中心にあるのが「経営者の意識」だ。」
■ 企業会計の仕組み上は残念ながら、株式会社は株主のものということになっています
続けて、鎌田さんは、
「そもそも株主とは、議決権や配当、残余財産分配の請求権を有する株式の所有者であって、会社の所有者ではない。会社は誰のものでもなく、「社会の公器」である。「会社経営の目的は、事業を通じて会社に関わる全ての人の幸福の探求である」こと、常に「健全な危機感を持つ」ことを経営者の一人として肝に銘じたい。」
マネジメント論としてはその通りです。かつて、コーポレートガバナンス1.0の時代、よく討論会などで、「会社は誰のものか?」「シェアホルダー重視経営か、ステークホルダー重視経営か?」というお題に、かつての上司(CFO)が出席されていて、会場の様子や世の中の意見をよく聞かせてもらっていました。
1.0の頃から、綿々と「ステークホルダー重視経営」が立派な経営論として語られていることは重々承知の上で、しかも、その本意に100%賛意を示したうえで、企業会計という仕組み・制度は、そうなっていないことを声を大にして主張します。
企業会計は、株主から(一部は債権者から)出資を募り、事業を起こし、事業から得たリターンを株主に適正なレート(資本コスト)でお返しし、出資頂いた恩に報いるという極めて無機質な計算機構から成っています。貸借対照表(B/S)により、調達資金と運用資本のバランス状態を監視し、損益計算書(P/L:現在では意味的に包括利益計算書を含む)にて、事業から得た利益を報告します。その最終的な利益報告は、どれだけ株主に配当金として、出資に報いることができるのか、出資金を預かる経営者がどれだけ真面目に株主の資金運用に携わったかを説明するための、
① 分配可能利益
② 業績評価利益
をボトムラインとして表示・報告するためのものなのです。
(参考)
⇒「アマゾン77%減益 4~6月純利益 先行投資重視を強調 それがどうした。究極の経営は利益を上げないこと!」
⇒「利益情報の意味」
■ ディスクロージャー制度を株主向けとするか、ステークホルダー向けとするかの議論が次に待っています
経営者は株主から委託された経営(言い換えると、資金運用)を全うしたかを決算期ごとに報告するためのディスクロージャー制度というものが整備されてきました。そこでの報告の中心は、株主最大の関心事である「どれだけ運用を委託した資金(株主資本)が増殖して、分配可能金がどれだけもらえるのか」を説明するものでした。
これを株主以外のステークホルダー向けにも企業経営実態をディスクローズするというかけ声は、極めて理想的に聞こえ、すばらしいコンセプトのように思えますが、その情報開示コストは一体だれが負担するのでしょうか? 世の中にはフリーランチは存在しないのです。
コーポレートガバナンス1.0の頃も、「環境会計」「マテリアルフロー会計」が流行り、各社は競ってISO14001の導入を試みました。その活動を「環境経営報告書」のような冊子にまとめて、外部開示しましたが、一般社会の人たちはどれくらい、その開示情報に興味を持ってくれたでしょうか。
コーポレートガバナンス2.0の現在、「CSRレポート」「統合報告書」「ESG投資レポート」等がもてはやされていますが、これも一時のブームで終わらない決め手は本当にあるのか、甚だ疑問です。
筆者が至らぬ頭で考えた処方箋は次の2つ。
① 株主リターンだけではない企業経営評価指標で投資されるルールを作成する
② 制度会計(せめて表示ルールだけでも)の機構を組み替える
①は、社会全体の意識を変えるだけではなく、投資評価に金銭的なリターンだけではない評価指標を正式に組み込むこと。これは、各投資ファンドが銘々に謳っているESG投資の基準という私流から、公的なルールに昇華させるのが良いでしょう。
しかし、これより強制力、または周知力が強いのは、そもそもの財務的開示資料の機構を変えてしまう②です。
現在でも周知されている財務分析手法のひとつに「付加価値分析」というものがあります。
売上高 - コスト = 利益
を計算するのではなく、国民経済計算宜しく、内部付加価値計算をおこなうものです。
これを分配面から見れば、
付加価値 = 人件費(労働者への分配)+資本減耗(固定資産調達)+支払利息(債権者への分配)+租税公課(公共セクターへの分配)+配当金および内部留保(株主への分配)
という風に計算するものです。これは、損益計算書でも貸借対照表でもなく、「付加価値計算書」という財務諸表に仕立て上げてしまうのです。
もし、CO2等の環境負荷を考慮にするならば、炭素税の計算機構をこの付加価値計算に組み込めばいいだけのこと。各社が勝手に行っている環境負荷計算は、公平性や比較可能性がないので、いまいち実務では使えません。
まあ、ミルトン・フリードマン曰く、
「私企業は利潤を上げて、納税や配当だけを行うことに集中していればよい。それ以外の社会的な調整は、市場が全て解決する」
という意見もあります。
企業会計はその時代時代の企業経営の写し鏡として、時代の要請に基づき、変容してきました。
新しい酒は新しい革袋に盛れ(Don’t put new wine into old bottles.)
ソシュール言語学の「ラング」と「パロール」にならい、その時代の個々のアクターの要請(パロール)が、やがて企業会計のディスクロージャー制度(ラング)を時代の要請に合ったものにきっと変えてくれるはず。筆者自身も、少なからず、小さな影響力ですがパロールの一要素としてそのお手伝いを引き続き行っていきたいと思います。(^^;)
(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。
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