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アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(85)できないからといって仕事を取り上げることは相手の勇気を奪ってしまうこと

本レビュー
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■ 困難を克服する機会を奪う権利はあなたには無い!

コンサルタントのつぶやき

失敗や未熟さを指摘してはいけない。
できないからといって取り上げてもいけない。
相手の勇気を奪ってしまうからだ。
自ら困難を克服する機会を奪ってしまうのだ。

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少々長いですが、本書からの引用で始めさせてください。

相手の失敗や未熟さに対して「違う、違う!」と間違いを指摘したり、「私がやるから、もういいよ!」と取り上げたりすることは、勇気くじきの代表的な方法です。
 実際に相手のやっていることが未熟で間違っていたとしても、それを指摘した瞬間にそれは勇気くじきになってしまいます。指摘により、相手は自らの無能さと劣等性を思い知らされるからです。そして、問題を指摘した本人は、知らず知らずのうちに自分が優れた存在であることを相手に見せつけ、優越感を感じます。その結果、相手は勇気、すなわち困難を克服する活力を失ってしまうのです。

よく考えてみてください。経験や努力の成果が物を言う職業に就いていると考えている方は、部下や後輩が仕事ができないことをきちんと「当たり前」と感じていますか? 「どうしてこれくらいできないんだ」「なぜもっと早く報・連・相をしてこないんだ」とイライラが募ることも多々あると思います。今の自分もそうですから。

でもよく考えてみると、自分の若い頃を思い出すと、額から冷や汗が出てきませんか? 若い衆に投げつけている言葉は、きっと自分が若い頃に投げつけられて傷ついた言葉かもしれませんよ。

部下や後輩がその仕事ができないのは、現時点で、その仕事を独力でやりきる能力が不足しているだけなのです。能力不足と相手の価値とは何の関係もないのです。その仕事をできないことで、相手の存在や人格を否定するような言葉を投げつけることは、その相手を傷つけるだけで、お客様にも会社にも、その本人にも百害あって一利なし。

現時点で、その仕事を自己完結で仕上げることができないことは「事実」です。でもその事実がその人の職業人や家庭人としての「価値」を左右する要素では決してありません。

「人格」と「ふるまい」は峻別すべきです。

私は、部下や後輩に対して指導する際には、喜怒哀楽が激しく、時には厳しい言葉を投げつけることが多々あります。そのこと自体は何度も反省しますが、自分の態度がなかなか改めることはできずに苦労しています。しかし、厳しく投げつける言葉の内容は、この頃、随分と変えることができていると、独りよがりかもしれませんが、実感しています。

決して、相手のこれからのやる気をそいだり、未知の領域に踏み込もうとする意気込みをくじいたりすることの無いように注意しています。

自分ができることができない相手を見てしまい、そして間の悪いことに、それが指導する/指導される人間関係にあった場合に目についた場合、投げかける言葉の持つ意味と言葉の強さに留意すべきです。

ついつい、無自覚に、相手の自尊心を傷つけることを言っていませんか? 選択された言葉の厳しさではありません。投げつける言葉の方向性が問題です。決して、相手の勇気をくじく言葉を選ぶことはなきように。

「どうしてできないんだ」「だからお前はダメなんだ」「もういいよ、おれがやるから」

これらは、自分のいらだちを相手にぶつけているだけです。これらの言葉から、相手が「なにくそ、次はちゃんとやるぞ」と感じてくれる可能性は低いでしょう。そして、そういう類の言葉を浴びせかけられても、キチンと反省すべき点は反省し、改善してきたからこそ、今のあなたがあるのです。それは理解します。しかし、そのあなたが上記のような言葉を投げつける相手もそうあるという保証はないのです。

だからこそ、勇気くじきの言葉の投げ付けには本当に、留意して、慎むべきなのです。

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