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(大機小機)減損リスクにひるむことなかれ - 減損損失と経営責任を考える

経営管理会計トピック 会計で経営を読む
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■ 「経営判断の原則」の法理から大いに冒険して大いに減損損失を出してほしい!?

経営管理会計トピック

日本を代表する経済紙で大変興味深い会計処理と経営の関係に関するコラムを目にしました。会計と経営好きにはたまらないテーマではありませんか。(^^;)

2018/1/17付 |日本経済新聞|朝刊 (大機小機)減損リスクにひるむことなかれ

「減損に伴う法的責任を心配する向きもある。会社経営者は、会社に対して善管注意義務を負っている。善管注意義務違反によって会社に損害が生じれば、損害を賠償する義務を負う。
だが、心配は無用だ。「経営判断の原則」という法理があるからである。一定のプロセスを経た経営判断について、裁判所はその当否を事後的に判断しないという、米国で発展してきた考え方である。」

(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます

同コラムでは、日本においても大体同じ法理で「経営者の判断が著しく不合理でない限り善管注意義務は問わない」とする考え方が一般的であると紹介されています。そして、経営判断の原則が働く経営意思決定の典型例として企業買収(M&A)が挙げられています。

 

■ デューディリジェンスのプロセスをきちんと踏んでいれば損害賠償責任は逃れられる!?

それでは、M&Aに伴うデューディリジェンスの手続きをきちんと踏まえ、資産査定を行い、買収契約にも売主に対する補償や買戻し条項を付けて万全のリスク対応を施せば、いくら多額の減損損失を発生させても、法的な損害賠償責任を逃れることはできるのでしょうか?

そもそも、ある行為者の行為結果責任をその行為者が法的に負うべきか負うべきでないかを決定する際に、その行為者がその行為に先んじて払ってしかるべき正当な注意義務及び努力のことを、「デューディリジェンス(Due diligence)」と呼ぶので、この議論はトートロジーなのでした。(^^;)

それでは、最近の大型減損損失案件で注目を浴びている案件はどうでしょうか?

2018/1/11付 |日本経済新聞|朝刊 (検証 東芝危機)原子力暴走(2)39基、張り子の受注計画 組織蝕む権力闘争

「西田時代に決断した6千億円の米ウエスチングハウス(WH)買収。買収額を当初の2倍超にした根拠が「15年までに33基」の受注計画だった。まとめたのは当時の原発担当常務の佐々木。二人三脚で買収を成功させた西田とは蜜月の関係のはずだった。だが「大将タイプで抑えがきかない」(OB)佐々木は社長就任後に手のひらを返し、独自路線を突き進む。
象徴が原発事業だ。自らの成果を誇示しようと受注計画を39基に引き上げた。新興国の原発整備が進むとの読みだが、実際のWHの受注実績は現在8基にとどまる。周囲の見方も厳しかった。
「米国の原発着工は鈍っているのに、なぜ東芝は受注計画を見直さないのか」。10年5月、佐々木は米国で株主に突き上げられた。東日本大震災の前から佐々木の皮算用は甘いと指摘されていた。自ら推進したWHで失敗を認めるわけにはいかず、強気を押し通した。」

このケースでは、トートロジーかもしれませんが、WH買収にあたり、ビジネス・デューディリが真っ当に行われていたか、我々外部の者としてはいまや、報道や第三者委員会の報告でしか知り得ませんが、もはやデューデリの範疇を超えて、経営者判断の適切性にまで踏み込んで責任論を論じる水準にあると考えられます。

 

■ 減損リスクにひるむことなく、企業買収に積極的に取り組んでもらいたい!?

まずこのコラムの締めの文章から。

「経営者には、減損リスクにひるむことなく、企業買収に積極的に取り組んでもらいたい。もちろん、株主への説明責任は果たしつつ、ではあるが。」

なぜなら、

「「減損の発生=企業買収の失敗」という評価が常に正しいわけでもない。企業戦略上、高値であっても企業買収という手段を選択せざるを得ない局面が存在するからだ。」

という理屈からだそうです。

前章にある東芝の意欲的なWH買収とその後の減損損失の認識を遅らせた事実について、まだ法廷での争いになっていないので、ここでは損害賠償責任云々を引き合いに議論できないと考えますが、少なくとも、経営者責任(=結果責任)を果たすために引責辞任他の責任が採られています。報道にもあるように、いろんな社内的な政略的な行動から、減損損失の発生の元になる強気の買収や、減損損失の発生を遅らせたことが明らかになっており、経営の失敗とははっきりということができます。

しかし、高値でも買収して、その後、減損損失を発生させても許されるケースがあり得るか、思い付くものを挙げると次のようなケースは、仮に減損損失を出しても、経営者判断は正しかったと考えます。

例1)
同業他社が同じ企業買収案件で競り合っている場合、他社が買収してしまうと当該関連事業で思いっきり差をつけられて、その領域では向こう10年勝てる気がしない。その場合、自社が取得してもシナジーを出す自信はないが、競合に取られてリードをこれ以上広げられないように買収案件に競り勝つ

例2)
対象案件がさほど、自社に必要だとは思わない。しかし、競合企業が手を挙げており、思いっきり高値を示して競り合って、できるだけ高値で競合企業に買わせて財務的な悪影響を与えたい。しかし、競り合いが強気すぎて、間違って自社が競り落としてしまった(もしくは、契約条項で多額の違約金を支払ってディールから降りた)。

これらは、消極的に損害賠償責任がないという意味ではなく、よくそういう思い切った経営段ができたという積極的な評価ができるケースだと思います。こうしたディールものは、企業小説でエンターテイメントとして読んでいる内は楽しいのですが、いざ、企業関係者とか一般株主としての立場が絡めば、そうそう楽しんでもいられません。

後は、コラムも指摘しているように、取締役会、株主総会で説明責任を十分に果たしているかを精査してもらって、正々堂々と首を洗って、経営者責任の有無の判断を預ける、そういう潔さが経営者の資質として大事なのではないか。そう思った次第です、はい。(^^;)

(参考)
⇒「日本電産「買収で減損ゼロ」 53件目は独社 適正価格、経営関与、シナジー 電子部品大手5社の「のれん経営度」を比較する
⇒「日電産、大胆な会計処理に込めた車部品への本気 大阪経済部 上田志晃 -裁量的な減損損失の計上は許されるか?
⇒「減損損失と減価償却費の本質的違いとは? - 固定資産の資産性評価の考え方、時価主義と費用収益対応の原則の違い

(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。

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