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マルクス・アウレリウス・アントニヌス(1)失うことを恐れないように

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哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウス

「子どもを失うことがありませんように」という人がいる。お前はいう。「失うことを恐れないように」。

マルクス・アウレリウス・アントニウス 「自省録」9・40
マルクス・アウレリウス・アントニヌス
アウレリウス胸像(メトロポリタン美術館所蔵)

(第16代ローマ皇帝 / 121~180)

かの偉大なローマ皇帝の名前は、高校で世界史を学び始めれば、2ヵ月にして、このカタカナ名の長さに辟易するきっかけになる代表的なもののひとつという意味でも有名です。私のアウレリウス体験は、大人になって、塩野七生「ローマ人の物語」で再発見することになったことです。

彼は、「自省録」という誰にも公開するつもりがなかった日記でも有名人になりました。彼の後の世の奇特な方が、彼の日記を写本してくれていたおかげで、彼がどういうことを考え、帝位に就きながらにして、後期ストア派の哲学者としても有名になったのかを垣間見ることができます。

「病は気から」ともいいますよね

マルクス・アウレリウスは、14人の子供を授かりましたが、多くは夭折して、成人に達することができたのは息子一人と娘5人でした。その彼が、日記に冒頭の言葉を残しているのは、子供を失って打ちひしがれている自分自身に言い聞かせていると解釈するのが通説になっています。

しかも、たった一人だけ成長した息子が、後に暴君として歴史に名を遺す、コンモドゥスです。後世の歴史を嗜む人たちにとって、資質に優れた養子を次の帝位に就ける「五賢帝」時代の良き風習が、実子に継がせることで、一時的ではありましたが、ローマ帝国の治世を乱すことを招いたことは不思議で仕方がありません。

哲人皇帝として誉れ高いマルクス・アウレリウスの内面を日記から窺い知ることができるがゆえに、なぜ、コンモドゥスに跡を継がせたのか。当事者にしかわからない事情があったんだろうなと察することしかできません。

そのうえで、「失うことを恐れない」と、日記の中で何度も自分に言い聞かせている哲人皇帝の内面を考えると、果たして自分の心映えはどれくらいのものか、考えさせられます。

何かを失うことを恐れている精神状態は、あまり一般的にはよろしくない状態であり、正常な判断力を失っている時かもしれません。心を平安に保ち、心身ともバランスよく健康体であることが、理知的に判断することの十分条件になっていると理解しています。

理論的に間違った判断をしたくないと思っている人こそ、理屈のほうではなく、自分の感情のほうをまず優先してケアしたほうがよいでしょう。古くから日本にも、「病は気から」という言葉があるくらいです。自分の気構えのほうが十分に準備されていないと、判断力も鈍るというものです。

「失ってみて初めて分かるありがたみ」というジレンマ

ここは論理的に因果を考えると、ちょっとしたジレンマになっていることがわかると思います。何かを失うのが怖い、または自分の人生の得失に関わる、と十分に分かっているからこそ、あれこれと思索を巡らし、それを失わないように努力しようと何かをせざるを得なくなるのが一般的な人の習性だと思います。

一方で、いったん失ってしまうまでは、それが自分にとって大層重要なことであったことに気が付かないことも長い人生で出てきます。突然の不幸に襲われると、人は、どうしようもなくなり、無力感に打ちひしがれてしまいます。「あのとき、ああすればよかったのに」というアレです。

そうならないように、予期できるものの準備は怠らないようにする。それでも、結果が上手く収まるかどうかは保証を誰もしてくれません。その中で突然の不幸が訪れ、何もできない自分の無力さに途方に暮れてしまう。こうなることが分かっていたら、あそこでああはしなかったのに。。。

私はこういう後悔ばかりの人生を送ってきました。そういう思考ロジックだと、死ぬ瞬間までの経験値を貯めて、最初から人生をやり直さない限り、自分の精神衛生上、健全にはなり得なくなります。あたかも、ゲームの途中で、選択肢のどちらにするか迷った場合に、とりあえずセーブボタンを押して保険をかけておくか、みたいな。でも、リアルには、セーブボタンは無いと、きっぱり割り切ることが大切です。

どうあるかを考えるよりどうありたいかを思う大切さ

最近、企業のマネジメントや経営戦略の中で、「パーパス(purpose)」が大事だ、という論説が流行っています。一昔前は、「ミッション、バリュー、ビジョン」の三点セットが流行っていました。本当のホントに、自分がどうありたいか、なんて、大人になってから、真剣にひたすら考え抜いた経験はどれほどお持ちでしょうか。マネジメントの世界でも、手を変え品を変え、次々に新しい言葉が登場してはやがて古くなり、最後には廃れていきます。

言葉は変わっても構いません。しかし、大切なことはそうは人類の歴史の中でもそうそう変わるものではありません。AIの隆盛だって、所詮、どう環境に適応するか、という問題に過ぎないからです。要は、AI全盛時代となったときに、職場やプライベートにおいて、自分はどうありたいのか、を真剣に考えて、その信念を強く心に持つことが大事なように思っています。

マルクス・アウレリウス・アントニウスが、「失うことを恐れるな」と何度も自分に言い聞かせている文章を読んで、私は、その言葉が、「自分はどうありたいのか」と自分に問いかけてきてくれているように感じています。

皆さんも、ふとした瞬間に、また、なにか人生の得失を経験した際には、「失うことを恐れるな」「自分はどうありたいのか」という言葉を、得失によって精神的ダメージを負っている自分に問いかけてみてください。

もしかすると、精神的ダメージは一時的なものになり、ポジティブ思考で、次の目標に向かって前向きに、そしてひた向きに邁進できる日々が戻ってくるかもしれません。

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