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令和2年度大学入試センター試験(本試験)地理歴史「世界史B」の第1問 問5「魏で、屯田制が実施された」は全員が正解2点

経営コンサルタントのつぶやき_アイキャッチ 所感
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歴史は巡る 過去にもあった得点調整

世界史の受験生ではなくても、三国志ファンなら、三国志演義では悪役でしたが、実像は素晴らしい政治家だった曹操が始めた「屯田制」はお馴染みのものだと思うのですが。世界史の受験生なら迷うことなく正答して欲しかった問題でした。

ですが、ここでは、受験生の学力ではなく、これを正解が無いとして、世界史Bを受験した全員に2点を与えることの罪深さの方を指摘したいと思います。

何を隠そう、筆者は、1989年の最後の共通一次試験(大学共通第1次学力試験)と、1990年の最初の大学入試センター試験と、双方の受験経験があります。受験制度の変わり目は、何かと波乱が起きるものです。

1989年は、生物の平均点が他選択科目(物理・化学・地学)に比べて著しく低くなり、生物選択者には、自動的にプラス40点の下駄(ゲタ)が履かされることになったことを思い出しました。筆者は地学を選択したので、割を食った方です。

そして、センター試験最終年の今年、40点に比べれば2点は、数字のインパクトこそ小さいですが、世界史Bを選択した受験生に等しく2点が与えられるという処置がなされました。仮に、社会科目の選択の妙で合否が左右される受験生がいささかでも少なくなるよう心から願うばかりです。

あー、ちなみに、自分の長男が今年、最後のセンター試験を受験しました。親子2代でセンター試験の初年度と最終年度を飾ることになりました。^^)

気になる問題文を見てみましょう

早速、独立行政法人 大学入試センターのホームページから該当のプレスリリースを引用して、「世界史B」の第1問 問5の内容を確認することにします。

試験情報令和2年度大学入試センター試験(本試験)地理歴史「世界史B」の正解訂正について|独立行政法人大学入試センター

ちなみに、他の選択肢も見てみることにしましょう。

(2)「プロノイア制」
セルジューク朝の侵攻に悩んだビザンツ帝国のコムネノス朝が、貴族の大土地支配が進むことで衰えた軍事力と徴税力を回復させるために、功績のあった貴族に対して、軍事的奉仕と引き換えに、その土地の徴税権を与えることで皇帝の軍事力を確保しようとしたものです。

むしろ、屯田制が崩れたことへの対応策であり、出題者による魏の屯田制との関連性を匂わす意図が十分に感じられます。もちろん、ムガル帝国ではないので、これは不正解です。

プロノイア制
世界史の窓 appendix 用語とヒント

(3)「プロイセン改革」
1806年からのプロイセン改革の中心的施策で「十月勅令」という名前で呼ばれることもあります。領主による農民に対する人格的束縛を廃止、農民を農奴的な束縛から解放して、職業選択・移住・結婚・土地取引などの自由を与えようというものです。

これを始めたのが、当時のシュタイン(Stein)宰相。その後、一連の改革はハルデンベルク宰相に引き継がれるのですが、出題者の意図としては、ドイツ社会民主党のベルンシュタイン(Bernstein)というカタカナ人名で迷わせようという魂胆かと。

農民解放(プロイセン)
世界史の窓 appendix 用語とヒント

(4)「アトリー政権」
「ゆりかごから墓場まで」というスローガンでお馴染みのイギリスの社会保障制度の確立を第二次世界大戦後に実施したのが、労働党から2人目の首相になったアトリーです。ポルトガルではないので、これは完全に間違いになります。

アトリー/アトリー内閣
世界史の窓 appendix 用語とヒント

「魏の屯田制」以外は、国名か人名のいずれかが決定的に間違っているので、消去法でいっても、「魏の屯田制」は選びやすいのではないかと推察します。しかしながら、一見では、この出題がなぜ世の中でそれほど問題視されるのか、本質的な問題点が分かりにくいかもしれません。というのは、、、

世界史Bで1問を全員正解扱いに (共同通信)
世界史Bで1問を全員正解扱いに

試験中に「三国時代と戦国時代とどちらの魏か」と監督者に質問って?

最初にこの記事を目にしたとき、とてもびっくりしました。

全員を正解扱いにしたのは世界史Bの第1問の問5。歴史上の様々な支配体制について正しい記述を選ばせる問題で、「(中国の)魏で、屯田制が実施された」という選択肢を正解としていた。

しかし試験中、受験者1人が「三国時代と戦国時代とどちらの魏か」と監督者に質問。同センターはどちらともとれると判断し、全員に得点を与えることにした。

出題は三国時代の魏を想定。そのかなり前の戦国時代にあった魏は屯田制を実施していないとされ、受験者が戦国時代の魏と考えた場合、正解がなくなってしまうという。

同センターによると、全員に得点を与える措置は追試験での例を除くと1997年の試験以来3回目。

2020/1/18|日本経済新聞|電子版「センター試験初日終了 世界史Bの1問を全員正解に

受験生が試験中に、監督者(多分、大学生のアルバイトの人もいただろうに)に出題の意図を聞くなんて、なんて勇気のある受験生か。聞かれた方もおそらく困ったと思います。なぜなら、受験生の前提となる質問がそもそも間違っているからです。

それは、中国の歴史において、「」という名前が付いた王朝(政権)は、戦国時代と三国時代にだけに存在していたわけではないからです。

  • (BC453 – 225)戦国時代に晋から趙・韓とともに分かれて成立
  • 魏(BC208 – 205)秦末に魏咎と魏豹が再興。西魏とも
  • (AD220 – 265)後漢から禅譲を受けて魏王曹丕が建てた王朝。曹魏とも
  • 冉魏(AD350 – 352)五胡十六国時代に漢族の冉閔によって建てられた国。国号は大魏
  • 翟魏 (AD388 – 392)五胡十六国時代に丁零の翟遼が建てた政権。翟遼は自ら魏天王と称す
  • 北魏(AD386 – 534)南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。国号は。拓跋氏の漢風姓である元氏からとって元魏と呼ぶこともある
  • 東魏(AD534 – 550)北魏が分裂して成立。国号は。高歓が鄴で元善見(孝静帝)を皇帝に擁立
  • 西魏(AD535 – 556)北魏が分裂して成立。国号は。宇文泰が元宝炬(文帝)を皇帝に擁立
  • 魏(AD617 – 618)隋末に李密が魏公を名乗り、永平と改元

国号が「魏」という国は、2択ではなく、大所だけを拾ってみても実は9択なのです。それを踏まえて、次の大学入試センターのプレス発表における回答を見てみます。

試験情報令和2年度大学入試センター試験(本試験)地理歴史「世界史B」の正解訂正について|独立行政法人大学入試センター

歴史を教えるものが、「魏」を自ら2択として、選択肢を狭めたうえで、問題文中で見分けがつかないとして、正答なしと判断するとは、開いた口が塞がらない、とはこのことです。

最初の問いかけが間違うと、回答も間違う典型例ではありませんか。ここに、パワハラで訴えられることを恐れて、部下の指導が甘くなる日本のサラリーマン根性に根底で通じるものを感じます。もっと、想像力を働かせて、相手の意見に傾聴しようよ!

あ、すみません、言いすぎました。反省! m(_ _)m

実は、曹操は「魏」という国を建国していません

多重的にこのやりとりに違和感を覚えたのは、ネットなどで、「曹操が始めた屯田制を知らないのか」「三国時代の魏に決まっているだろう」というコメントを目にしたからです。

厳密には、三国時代の「魏」は、曹操の息子の曹丕が建国しています。その後の「晋(西晋)」も司馬懿ではなくて、彼の孫の司馬炎が建国しています。もちろん、大いに屯田制を広めたのは曹操なのですが、曹操にかこつけての「屯田制=曹魏」という紐づけは、択一式の出題形式として、そもそも無理があるのかもしれません。

1192年:鎌倉幕府の成立ではない。源頼朝が征夷大将軍に任命されたのがこの年、みたいな。^^)

さらに、「屯田制」を厳密に始めたのは、後漢末、徐州に拠った陶謙が陳登に命じたものが初出とされています。曹操もその制度を良しとしてこれを導入・採用したにすぎません。

「魏で、屯田制が実施された」

解答文を改めて読み直すと、これを誤文と判定することも、正解と断じることも、この一文だけでは、読めば読むほど断定することに困難を覚えます。

歴史的事実に照らしても、単なる国語の読解と受け止めても、ゲシュタルト崩壊を起こすだけで、思考は迷宮に入り込みます。

ただし、出題者の意図を汲むなら、他の3つの明らかな人名または国名の間違いがある選択肢ではなく、この「屯田制=魏」は正解である、という結論に至ることは、そう難しくはないと思います。

そうです。問題の根源は、この「意図を汲む」「文脈を読む」という所にあるのではないでしょうか。言い換えると、文章の読解力の問題といえるかもしれません。

曹操は「魏」を建国していないとか、中国には9つの魏王朝(もしくは政権)があったとか、屯田制はそもそも陶謙と陳登が始めたとか、歴史的事実に関するトリビアを持ち出すまでもなく、ムガルビザンツの取り違え、ベルンシュタインシュタインの取り違え、ポルトガルイギリスの取り違え、と比較すると、圧倒的な確率でもって、「魏が、屯田制を実施した」は正答だと認識できる読解力を持つことが大切です。

教育者も学生も、この点を忘れないようにして頂きたいものです。それは社会に出てから、「一問一答」では正解に辿り着けない難問が、この先、若い学生の目の前に立ちはだかることは、火を見るよりも明らかである、という現実です。

社会に出ると、試験官に「三国魏ですか、戦国魏ですか?」と安直に質問して、すぐに回答をもらえるようなことなど、滅多にありませんよ。ましてや、「誤読の可能性があるので全員正解にします」なんて、そんなに実社会は甘くはありませんよ。

自ら、課題を設定し、仮説を立てて、実際に検証しながら、大きく間違えていなければ、今のところはこれでよしとする。60点取れれば、次の問題に移る。こういうことばっかりですよ。

受験生は、大学入学後、正答のない世界、自分で問題を作るという姿勢に早く慣れてくださいね。そうしないと、大学の論文すらまともに書くことはできませんからね。ましてや、実社会においておや、です。受験勉強は、そのための大いなるインプット増強のためのものなのです。

えっ、そんなにいうなら、自分の息子はどうだったかって? 

もちろん、我が息子は世界史Bを受験しました。結果は個人情報に関することなので、ここでオープンにすることは控えておきますが、さすが我が息子でした。^^;)

所感
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この記事を書いた人
TK

現役の経営コンサルタントです。経営管理の仕組み構築や経営戦略の立案、BIシステムを中心としたIT導入まで手掛けております。最近はファイナンス(資本コスト経営)、バリュエーション、BEPS対応、コーチング・組織学習支援での実績があります。

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