■ その醜い争いは相手と同じレベルだからこそ引き起こされていることに気付くべきだ!
争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!
(桂木桂馬|© 若木民喜/小学館)
『神のみぞ知るセカイ』で主人公の桂木桂馬が言ったセリフ。原作ではゲームオタクでリアルを捨てている主人公と現実(オタク的な意味での三次元を指す)を比べ、レベルが違うのでそもそも争いが生じないと主張したものが、ネットで反響を呼び、多くのAA(アスキーアート)が誕生する顛末に!
(出典:-kemurikikaku- )
話が横道に逸れましたが、お題にあるように、人と人が争ったり、競ったりする状態にあるということは、同じ条件下で、お互いを同等の競争相手と認識するから。そもそも、相手を競争相手とか、ライバルとか、同格扱いするから、競い合いや争い、時には醜い蹴落としや、足の引っ張り合いが横行するわけです。
金持ち喧嘩せず
【意味】 金持ち喧嘩せずとは、喧嘩すると損ばかりで得がないことを金持ちは知っているので、人と争うことはしないというたとえ。
【注釈】 喧嘩をすれば損をするので、利にさとい金持ちは人と争わない。
自分の立場を失わないように、保身のためもめごとを避けるのが金持ちの振舞い方だということ。(出典:故事ことわざ辞典)
コンサルタントに限らず、どんな客商売でも、お客様(クライアント)とは、争いというか、喧嘩がそもそも成立しない、というのが私の見解です。
(1)ビジネスライクにお付き合いすれば、カネの切れ目が縁の切れ目
(2)知恵や経験、問題解決の方法論を売っているので、そもそも同じ目線になり得ない
これって、言い方、読み方次第では、大変、傲慢なコンサルタントだと思われそう。決して誤解しないでください。(^^;)
(1)は、採算がないビジネスがないことを前提にしているので、クライアントから無尽蔵にお金を引き出してやる! と息巻いているコンサルタントの方が危ないことを理解してほしいのです。そういうコンサルタントはゆすり・たかりと同類です。良心的なコンサルタントは、クライアントの懐事情とクライアントの希望の両立をどこまでもお手伝いするんだという意気込みが大事だということを知っているのです!
クライアントはコンサルタントに会社の大事なお金を喜んで寄付しているのではないのです。えげつない言い方をすると、出したお金以上の見返りを要求しているのです。その要求に質・量ともに応えられるコンサルタントになりたいものです。(^^;)
(2)は、コンサルテーションの現場で、そもそもクライアントと言い争いになっている時点で、コンサルタントとしての力量が疑われてもしょうがない、と申し上げたいのです。クライアントから、傅(かしず)かれるようになりなさい、という意味ではないです。クライアントの立場にたって、クライアントのためになることを発言しているのに、どうしてクライアントと言い合いになるのでしょうか? 的を射たことを発言していれば、絶対に言い争いにはなり得ません。
この「的を射たことを言う」と「正しいことを言う」とは、明確に違うことも理解して頂きたいと思います。なぜなら、「正しい」かどうかを決めるのは常にクライアントだからです。コンサルタントが自らの発言を「正しい」と思うのは勝手ですが、それは世間では通用しませんよ。
「的を射た」というのは、適時、適切、妥当的、であればいいので、方便で一時的な嘘になっていたとしても、結果、うまくクライアントのやりたいことが実現できるのなら、そういう言い方というのは許容されてもいいと考えています。そういうのは、レトリックの範疇。レトリックで皆がその気になって、物事が進めば、それはそれでよくて、その発言が「正しい」かどうかは二の次なのです。
『エンディングが、見えた!』(桂木桂馬風)
このように、常に落としどころを探るのが自分の勝利の方程式かもしれません。
合理的でなくていい、妥当的であれ
(by TK)
いやあ、今回はかなり「深イイ話」をしてしまいました。(^^;)
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