■ 人工知能に限らず技術革新はいつの世も必ず職を奪います!
鶴教授の深い洞察による論考が日経新聞(経済教室)に掲載されたので、ここに内容をサマリするとともに、簡潔に筆者のコメントを付していきたいと思います。
<ポイント>
① 長期的に労働者は不要になるとの警告も
② 人間と機械は補完的な役割も果たし得る
③ 機械は答え出せても問い発する能力なし
2015/9/12|日本経済新聞|朝刊 (エコノミクス トレンド)技術革新は職を奪うか 新たな仕事生む面も 鶴光太郎 慶大教授
(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます
「日本の雇用の未来を考える際、少子高齢化とともに重要な視点は、技術革新の影響である。特に、オートメーション、ロボット、コンピューター、人工知能(以下、まとめて「新たな機械化」と呼ぶ)が将来の雇用にどのような影響を与えるかは経済界、学界でも大きな注目を集めている。」
鶴教授は、歴史上幾度となく、「新たな技術が職を奪う」という議論は繰り返されていたと指摘しています。
・産業革命初期のラッダイト運動
・1930年代のケインズ氏の言葉
「技術革新が物質的な繁栄を導くと同時に、省力化のペースが速ければ技術的失業が広がる」
・1980年代のレオンチェフ氏の言葉
「生産の最重要要素としての人間の役割はかつての馬と同じように縮小する」
そして、その度に、
「過去200年間を振り返ってみれば、特定の職は技術革新で消滅しても、労働生産性の向上が所得水準の向上につながり、新たな需要を顕在化させる企業・産業が登場し、新規雇用も創出されることで雇用全体は増加してきた。」
のですが、
「新たな機械化がもたらす技術的失業が蔓延(まんえん)する懸念は杞憂(きゆう)に終わるのか、それとも今回は違うのか。」
と問題提起から入っています。ここは筆者の見解・憂慮する視点なのですが、「技術的失業」、つまり、鶴教授が名付けた「新たな機械化」により、人間の労働・雇用が不要になる職種は必ず発生します。それを、マクロ経済学統計で、新たな雇用が生み出されているから大丈夫、というのは、この技術変化の直接の被害者にならない職種についている人の安心感か、またはアカデミックな世界(象牙の塔)に籠っていらっしゃるエリートの無責任な発言の賜物です。もちろん、鶴教授は、その辺はわきまえて、論考を進めていらっしゃいますが。
筆者は、現時点では「経営コンサルタント」なる職業に就かせてもらっていますが、昨今の「人工知能」の進化に、職を奪われる危機感を募らせている当事者の一人です。つまり、筆者が不安視しているのは、短期的でかつ個性的(ミクロ的)な失業の問題であって、マクロ経済的な心配はしていないよ、ということです。そりゃ、市場メカニズムに任せれば、「長期」的にはすべてが均衡し、問題は解消されますから。問題は、その「長期」が個々人の人生には長すぎるということなのです。
■ 仕事の中身次第で新たな機械化との付き合い方が決まる!
米マサチューセッツ工科大学(MIT)のデイビッド・オーター教授によりますと、「職務(ジョブ)」を下記のように分類・整理することで、技術革新の影響度の大きさも分かるのだそうです。
1.ルール・手順を明示化できる定型的職務(現金出納、単純製造等)
2.明示化しにくく、やり方を暗黙的に理解している非定型的職務
2-1.非定型的知識労働(プロフェッショナルなど)
2-2.非定型的肉体労働(清掃など)
1.は、「中スキル・中賃金職務を形成してきたが、新たな機械化の影響を受けやすいこともあって米国、欧州、日本を含めその割合がこれまでも低下」
一方で、
2-1.は、「高スキル・高賃金職務を形成」
2-2.は、「低スキル・低賃金職務を形成」
この2.の「割合がおおむね増加するという職務の二極化が先進国で起きている。こうした分析によれば、新たな機械化の悪影響を受けるのはもっぱら定型的職務に限られることになる。」
つまり、今回の人工知能を中心とした技術革新は、もっぱら1.の層に打撃を与え、従来からあった2-1.と2-2.の間の所得格差はそれとは無関係に広がり続けている、という考察ということになります。
ただし、これには一部反論も記載されており、MITのエリック・ブリニョルフソン教授、同アンドリュー・マカフィー主任研究員によると、
「新たな機械化が今後10年で人間にとってかわる可能性は低いものの、長期的には技術進歩によって人間の労働者は全体的に不要になる可能性があると警告している。その技術革新のスピードはかなり速く、人間しかできないとされてきた領域まで機械が侵食してきているから」
その例証として、
① 非定型的肉体労働の典型とされていた自動車の運転手は、グーグルなどの「自動運転技術」に取って代わられようとしている
② 暗黙知が活用されるパターン認識(写真を見て実物を判断する能力)も「機械学習」技術の進歩で、長期的には何が起こるか予想がつかない
もっぱら、昨今の「人工知能」脅威論は、この立場からの論説となります。
■ オーター教授による第3の道、それは「補完関係」!
オーター教授によると、
「マスコミや一部の学者は新たな機械化の労働代替効果を過大評価する一方、新たな機械化と労働との間の強い補完性が生産性、所得、労働需要を高める効果を無視している」
と批判しています。
教授みたいなマクロ経済学的なものの見方(所得とか需要とか)をわざわざしなくても、労働の現場を見ていれば分かります。
・銀行ATMの普及による現金出納の仕事は激変したが、金融サービス(ローン、カード、投資など)を提供する仕事は増大した
・アマゾンなどの自動倉庫では、「ロボットは棚を動かすというルーティン(決まった手順の)作業を担当する一方、労働者は商品を扱い、全体の活動はソフトウエアで制御するという役割分担」になっている
ただですね、金融サービス提供も、自動倉庫も、昨今の「人工知能」技術の発展で、人間様がやる職務の範囲がより限定的になっており、「補完的」といえば聞こえは良いのですが、「人工知能」が“主”で人間が“従”になってきている点も実は否めないのであります。
オーター教授のもう一つの主張として、
「職務の二極化が永遠に続くことはない」というのがあります。
これは、1.の中スキルの職務も、
① 一定の技術が求められるが定型的な業務 と、
② 対面的やりとり・柔軟性・適応性・問題解決といったスキルが要求される非定型的業務
に分解され、①のみをばらして機械化しても、全体の効率性が大きく損なわれるから、新たな機械化での代替がされにくい、という内容です。
こうした、ちょっと安心できますよ!的な、職業リストは次の通り。
・医療技術者
・配管工
・大工
・電気工事士
・自動車整備士
・調整や意思決定が必要な流通部門の事務職
米ジョージタウン大学のハリー・ホルツァー教授は、「近年、中スキル職務全体の割合が低下する中で、新たな中スキル職務の割合はむしろ高まっていることを示して」おり、それを表わしたのが、下表です(記事に添付合ったものを転載)。
■ 将来、「技術的失業」が蔓延しないために我々ができること
オーター教授からひとつ。
1)
「技術変化で代替されるのではなく補完的になるようなスキルを生み出すような人的資本投資が必要」「機械にはできないが新たな機械化を伴うと価値が高まるスキルの養成」
ブリニョルフソン教授らから2つ。
2)
「人とつながりたいという欲望が人間的な要素・スキル、つまり、人間の持つ芸術性(演劇、音楽)、身体能力(スポーツ)、思いやり(セラピー)、もてなし(レストラン)などへお金を払いたいという需要を生む」
3)
「変貌自在、融通むげな発想によりこれまでにない新しいアイデアやコンセプトを思いつくスキルを養うこと」
これについては、彼らの著書「ザ・セカンド・マシン・エイジ」でも触れられています。
「機械は答えを出すことはできても、問いを発する能力はいまだ備わっていない。「好奇心の赴くままに学ぶ」「どうして世界はこうなっているかを問う」など、自由な環境での自発的学習を重視するモンテッソーリ教育法(イタリアの医師が20世紀初めに考案)が米国で著名な起業家を生んでいる」
またここで、「モンテッソーリ」が登場ですね。どうも明治以来の日本の詰め込み教育は、皆さん否定的なようです。これにはこれの有意義性や、戦後の高度経済成長を支えた人材育成には役立ったという考察もあるんですがね。まあ、日本の教育は大きく、文科省が変えようとしていますから、その行く末も見ていきたいと思います。9月入学導入や、就活後ろ倒し、文科系教育の見直しなど、教育現場の努力も大事なので大いに検討してもらいたいのですが、くたびれた職業人のひとりとしては、職に就いてからの自己研鑽に勝るものなし! と、考えている次第です。学生一人一人、「やる気スイッチ」の場所は違いますからね。
⇒「(核心)人工知能の時代に何を学ぶ 意外に重み増す文系科目 本社コラムニスト 平田育夫」
⇒「熟練工の技、ロボで伝承 オムロン、サイバーダインと開発」
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