知っているようで知らない「債務超過」の意味
会計あるあるで、「黒字倒産」と同様に、「債務超過」にある企業が平然と上場維持している米国企業の不思議。会計とファイナンスの違いに戸惑う人はまだまだ多いものと推察します。
米有名企業が債務超過となる事例が続いている。2019年はスターバックスやボーイングなどが加わり、債務超過額の合計は650億ドル(約7兆2千億円)と金融危機だった08年以来の高水準となった。低金利で借り入れた資金を使って利益を上回る自社株買いや配当を実施し、資本を取り崩したためだ。稼ぐ力を持つ企業が多いとはいえ、株主還元に傾斜した財務戦略は金融環境次第で経営不安につながるおそれもある。
2020/2/14|日本経済新聞|朝刊|米社、株主還元で債務超過 スタバやボーイング、24社で7.2兆円 金利上昇ならリスク
新聞記事では、感覚的に経営危機に陥っても不思議ではない「債務超過」状態にあるにもかからず、株式上場を数年来維持している状態について、おっかなびっくり解説している印象を受けます。良いとも悪いともいえない、なんとも奥歯にものが挟まったような歯がゆい分析になっています。
まず、日米の株主と経営者のスタンスの違いについて、次のように記載しています。
米企業では財務の健全性より利益を株主に還元することを優先する意識が強い。株価上昇に連動し経営陣の報酬が上がる仕組みをとる企業も多く過去数年は株価重視の利益分配が強まっている。
2020/2/14|日本経済新聞|朝刊|米社、株主還元で債務超過 スタバやボーイング、24社で7.2兆円 金利上昇ならリスク
筆者は、単純に株主優先の経営者マインドがそうさせているという見解を取りません。また、債務超過の状態は、基本的には健全性を疑うに十分な状態にありますが、現在の会計基準では、きっぱりと、債務超過が健全性を失っていると言い切ることはできないところの方に問題があると考えています。
財務分析の視点を養うために、まず「債務超過」の定義をはっきりとさせておきましょう。
▼債務超過 土地や建物といった資産をすべて売り払っても、負債をすべて返せない状況のこと。資産から負債を差し引いた資本がマイナスとなる。お金の貸し手が企業に返済を迫れば資金繰りがつかなくなり、倒産のおそれも強まる。東京証券取引所では債務超過になってから1年以内に解消できなければ上場廃止になる。
日本では債務超過になれば、企業は外部から資本を集めるなどして早く脱しようとすることが多い。一方、米国では債務超過であっても、事業が安定して収益を生み出せるならば、日本ほど問題視しない傾向がある。大手の外食やホテルといった業種では債務超過の例が少なくない。
2020/2/14|日本経済新聞|朝刊|米社、株主還元で債務超過 スタバやボーイング、24社で7.2兆円 金利上昇ならリスク
会計的な意味での「債務超過」
下記に、並み居る会計・ファイナンスの強者である有名どころの定義を引用してみます。
債務者の負担する債務の額が、資産の額を上回っている状態のこと。
債務超過の場合には、貸借対照表において、「資産」の合計金額よりも「負債」の合計金額が大きい状態であるため、「資本」の合計金額はマイナスになっている。
貸借対照表上で、会社の資産より負債が多くなってしまっている状態のこと。現時点で資産をすべて簿価で売却しても、借金が残る状態のことを言う。
一般的に、財政状態の不健全な会社が陥る。証券取引所では1年以内に債務超過の状態でなくならなかったときは上場廃止と定めている。
押しなべて、B/Sが次のような状態になったことを、「債務超過」と呼んでいることが分かります。
つまり、「債務超過」とは、B/Sの簿価評価上で、純資産の部が欠損を起こして、マイナスになっている状態を意味しているということが分かります。
「債務超過」を問題視する理由
そして、日本では、債務超過の状態が2年連続続いた場合、上場廃止基準に抵触することが言及されています。それでは、日本取引所グループ(JPX)の東京証券取引所における上場廃止基準(一部・二部)の中から、「債務超過」に関する規程を以下に引用します。
債務超過の状態となった場合において、1年以内に債務超過の状態でなくならなかったとき(原則として連結貸借対照表による)
ここには、「債務超過」がどういう状態かという規定はありません。逆に、同じく東京証券取引所の上場審査基準から、「債務超過」状態でない様子を窺い知ることができます。
(5)純資産の額(上場時見込み)
連結純資産の額が10億円以上(かつ、単体純資産の額が負でないこと)
細かいこというと、連単の別はあるものの、東証も純資産のマイナスを「債務超過」として捉え、これを上場廃止基準に用いていることが推測できます。
上場廃止基準がそうだからNGというふうに短絡的に考えるのではなく、どうして「債務超過」だと上場廃止基準に引っ掛かるほど、会計・ファイナンスのプロ達が注目するのか、その理由の方を考えてみませんか?
一般的に、ビジネスを営んでいると、儲けたり損したり波があるものですが、企業が堅実に成長し、収益力が高まれば、年々、B/Sの純資産の部に利益剰余金(留保利益、内部留保)が増えていく仕組みになっています。
この利益剰余金が増えていく、つまり純資産の部の金額が増えていく状態が上手な企業経営がなされて、高い収益性を維持していることを示し、ひいては、債権者への返済資金を心配する必要がない高い返済能力も有している(健全性が高い)ことの1つの証明にもなっているからです。
会計の素人でも、上記の視点でB/Sを眺めてみれば、純資産の部がいくらになっているか、一目瞭然で、企業経営の健全性のチェック方法としては、至極、簡単で分かりやすいですよね。でも、その分かりやすさにこそ落とし穴があるわけです。^^)
「債務超過」と「支払不能」とは厳密には違う
「債務超過」は、複数のサイトで調べると、英語では、
- asset deficiency:資産が不足している
- capital deficit:資本が不足・赤字
- excess of debt:負債が上回っている
- liabilities exceeding assets:負債が資産を上回っている
という語用になっており、負債を支払うことができない様は、
- insolvency :支払不能、破産
と、言葉を使い分けています。しかし、多くの日本語のサイトでは、「支払不能」と「債務超過」とを混同している説明や訳語の当てはめが横行しています。由々しき事態といわざるを得ません。
これは、B/Sにおける資産(債務支払いの原資)の簿価評価額から、企業に保有されている換金可能な財産の多寡を推し量ることができた、産業革命当時(18世紀)の会計観の残滓に過ぎない間違った考え方です。
取得原価主義と発生主義に基づく期間損益の計算、つまりP/L中心主義の工業化発展時代、B/Sは期間損益のために待機している勘定の集まりに過ぎない時代が長く続きました。その後、ファンド型経済が横行し、時価主義、公正価値主義会計が漸次取り入れられており、現在のB/Sは、簿価と時価評価されるべき勘定科目の混合体となっているのが実態です。
そんなB/Sの簿価金額の貸借を比べただけでは、健全性(負債の支払い能力)を推し量ることは至難の業といわざるを得ません。
なぜ米国では健全な債務超過の会社が多いのか
米国では、資産と負債の単純比較による形式的な「債務超過」より、経営実態的に支払能力の有無を見分ける実質的な「健全性」の方を、債権者も投資家もより重視してチェックします。
それは、当局も十分に理解しており、冒頭の新聞記事で注目された米国では、自己株取得の財源規制が、見た目の「債務超過」を特別視していません。一方、日本では、会社法461条にて、剰余金の配当規制と同じ枠で自己株取得の財源が規制されています(注:自己株取得についてはその他、取得先との法的関係等の規制が別条で加えられています)。
2020/2/14|日本経済新聞|朝刊|米社、株主還元で債務超過 スタバやボーイング、24社で7.2兆円 金利上昇ならリスクから「債務超過7兆円、08年以来に」を引用
それゆえ、株主還元に積極的でかつ、業績が良い企業に表面的な「債務超過」の会社が増えているというわけです。
2020/2/14|日本経済新聞|朝刊|米社、株主還元で債務超過 スタバやボーイング、24社で7.2兆円 金利上昇ならリスクから「主な債務超過企業と超過額」を引用
筆者は、三現主義(現場、現物、現実)を大事にしているので、実際に、上表で最も債務超過額が大きいとされるフィリップモリスの直近のB/Sを見てみることにします。
確かに「債務超過」です。しかし、、不健全企業で今にも破産(倒産)しそうな匂いが全くしません。それは、ひとつには、インタレスト・カバレッジ・レシオ(支払利息の何倍の営業利益を上げているか)が18.44 だからです。
インタレスト・カバレッジ・レシオは、今の稼ぎ(営業利益)で、足元の支払利息が何倍まで増えても耐えられるかを見るものです。利益水準が一定としたら、現在の18倍まで利息負担が増えても耐えられる収益性(に裏付けられた健全性)を維持しているといえます。
超長期的に、たばこビジネスが未来永劫、ずっと高収益で、もっと成長するとは思いませんが、明日すぐに、売上や利益が半分になるとも思えません。日銭商売として、短中期的にはいわゆる固いビジネスです。
そうです。売上(収益)の変動幅が小さい場合、財務レバレッジはある程度高めで設定しても大丈夫でしたよね。^^)
(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、過去及び現在を問わず、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。
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