9 Matrix Financial Analytics とは
筆者の自作による財務分析テンプレート(Excel 2010)を用いた財務分析手法で、FY2011~15の5ヵ年の時系列分析によるトヨタ自動車の経営状況を概括したいと思います。一つの財務指標でも、5年並べてみれば、単独でそれなりの経営状況の変化のストーリーを見せてくれますし、関連する他指標との比較にまで目を凝らして見れば、ひとつひとつの財務指標がすばらしい経営戦略のストーリーテラーとなってくれるに違いありません。
『9 Matrix Financial Analytics』とは、筆者渾身の財務分析手法で、初心者から中級者向けのツールとして開発したものです。
財務分析(経営分析)は、数字を算出して終わりではありません。確固たる経営管理の目的を果たすために行われる計数分析作業で、各種の経営管理活動(施策)と連動する必要があり、同時に、その施策に何らかの示唆を与えたり、特定の管理目的の達成度評価や目標設定に役立つものでなければなりません。
経営管理の活動レベルとして、①商品戦略、②事業戦略、③財務戦略の3つ、
経営管理の視点の違いとして、①ビジネススピード、②投資収益性、③キャッシュマネジメントの3つ、
3×3のマトリックスで一覧性を保持しながらも、企業経営における重要な財務指標を選抜してあります。
Net D/E Ratio
この指標は、3×3のマトリクスにおいて、「財務戦略」での「キャッシュ」を管理する目的で使用するものです。この説明、何かおかしいですよね、財務戦略のキャッシュなんて。。。その説明の不恰好さの正体は後程、説明します。
・Net D/E Ratio(Net Debt / Equity Ratio:純負債資本倍率)
・Net D/E Ratio = (有利子負債 - 現預金)÷ 株主資本
→「株主資本」の名が法定の貸借対照表(B/S)に存在し、この数値を使用すると、少数株主持分(非支配持分)と新株予約権が含まれないことになります。この財務指標の管理目的に照らして、両者を含む「純資産」の値を用いることにします。
ちなみに、現預金を考慮しないで、この指標を見る際には、
・D/E Ratio(Debt / Equity Ratio:負債資本倍率)
・D/E Ratio = 有利子負債 ÷ 株主資本
で定義します。実は、本音を言うと、筆者の考え方では、こちらの現預金を考慮しない方を支持しています。では、どうして、『9 Matrix Financial Analytics』において、「Net D/E Ratio」を採用したのか? その理由は簡単です。この「Net D/E Ratio」を意識していれば、その構成要素として「D/E Ratio」は自然に把握できるからです。要は、大は小を兼ねる、ということです。
D/E Ratio(D/E レシオ)は、企業が資金調達する際に、最も資本コストが低くなるように、有利子負債(銀行借入や社債など)によるデットファイナンス、株主資本(増資・新株発行など)によるエクイティファイナンスのバランスを見るために活用する指標です。
教科書には、「企業の財務健全性のために、D/Eレシオは、1倍未満であることが望ましい」などと、これまた、業界事情や企業の成長ステージを考慮せずに、定数で理想値を語っているものがありますが、あくまで参考程度に考えておいてください。電力業界や鉄道など、大型の長期設備投資が必要でかつ安定的な現金収入が見込める業種の場合、有利子負債による資金調達を優先した方が、有利子負債につきものの、支払利息の分、法人税の負担額を節約できる、いわゆる「タックスシールド」という税効果を活用できるので、前述の業界では、平均的に、D/Eレシオは大きい値になります。
一方で、医薬品や任天堂のようなゲームソフト制作会社の場合、開発した商品が当たるか当たらないかで、大きく業績が変動する業界は、もし不作だった時に、有利子負債を返済する現金が手元から無くなる恐れがあります。その場合、有望な知的財産がいくらあっても、倒産(銀行取引停止)となり、企業存続が危うくなるリスクが顕在化します。それゆえ、そのような業界に属する企業のD/Eレシオは決まって低水準となります。
すなわち、D/Eレシオは、その企業の業績の安定度と、調達資本コストの最適バランスを推し量るための参考数値を導く道具として使用することになります。
さらに、「Net D/E Ratio」という概念を持ち出し、D/Eレシオを見かけ上、企業にとって有利なように、D/Eレシオの値を小さく見せる工夫を、対株主への説明に使うことが多々あります。つまり、「有利子負債を返済できる現金が手元に豊富にあるから、安心して我が社の株式を購入してください」という文脈で、財務的健全性を強調するのに、D/Eレシオより、ネットD/Eレシオの数値を使うことが多々あります。
(注:最近の動向)
最近、困ったことがあります。それは「ハイブリッド債」。会計基準的には「有利子負債」だけど、格付機関が「資本性あり」と認めたもの。企業財務担当者は、これも「株主資本」に含めて、外部のステークホルダーに公表することが流行っています。もう簡単には、外部の財務分析者が、D/Eレシオを計算できない時代になってきました。(^^;)
この点について、筆者なりの見解は「×」。これが、冒頭の説明の不恰好さの答にも地下水脈でつながっています。
『9 Matrix Financial Analytics』の縦軸の最下部は「キャッシュマネジメント」。そして、横軸の最右部は「財務戦略」。それが交叉するところに、「Net D/E Ratio」が鎮座しています。この不恰好さは、下図のように、企業経営において、2種類のキャッシュフローを同時に管理しなければならないことに端を発しています。
上図の左側、「ビジネス・キャッシュフロー」を、商品単位で見るのに使用するのが「CCC」、事業単位で見るのに使用するのが「FCF」です。そして、右側の「ファイナンシャル・キャッシュフロー」を資金需要単位(通常は企業単位)で見るのに使用するのが、「Net D/E Ratio」なのです。筆者が使用している「財務戦略」という用語は、資金調達のための戦略を意味しているのです。そして、「キャッシュマネジメント」というのは、その財務指標が持つ特性を「管理視点」という整理で説明するものです。
企業が調達してきたお金を有効に活用して、ぐるぐる回している間に増殖させているよね、ということを見るのが「ビジネス・キャッシュフロー」で、企業がどうやって最適資本コスト(低ければいいというわけではありませんが)、簡単に言えば、低コストで資金を集めるために、企業内部で使ったり、企業外部のステークホルダー(投資家や金融機関)への説明に使用するのが、「ファイナンシャル・キャッシュフロー」にあたる財務指標たちです。
それゆえ、「ビジネス・キャッシュフロー」の循環の輪を構成する「現預金」だけを取りだし、「ファイナンシャル・キャッシュフロー」の説明要因である「D/Eレシオ」に加味して、「Net D/E Ratio」というキメラを創り出してしまったのだな、と理解しています。この指標を使って、見かけ上の財務安定性を演出したとしても、ちょっと計算すれば、本物の「D/Eレシオ」の値は求めることができます。こっちの方が、「ビジネス・キャッシュフロー」と「ファイナンシャル・キャッシュフロー」の概念をきっちり区分した分析ができる、これが筆者のキャッシュ関連の財務指標の使い方の基本姿勢となります。
しかしながら、『9 Matrix Financial Analytics』では、需要の高い「Net D/E Ratio」と、本質的な「D/E Ratio」を並べて比較できるように工夫がなされています。
トヨタ自動車の「Net D/E Ratio」を実際に見てみよう!
ではトヨタ自動車のFY11~15の5ヵ年の「Net D/E Ratio」の推移をご覧ください。
「Net D/E Ratio」は、1倍を切って、見かけ上、定説によれば財務的健全性の高い優良企業の仲間入りです。しかし、「D/E Ratio」は1倍ちょっと上に漂っています。トヨタの財務担当者は注意深くこの指標を監視し、有利子負債と株主資本(純資産)のバランスを調整しています。それは、ROEなどの分析グラフなどから分かるように、純利益から配当額を差し引いた内部留保の分だけ、株主資本(純資産)がどんどん大きくなっていきます。それに合わせて、有利子負債も増やして、バランスを取っているのです。
「内部留保がどんどん溜まるということは、借金を返済できる資金が手許に増えているってことだろ。それで借金を減らした方がいいじゃん」という声が聞こえてきそうです。そうすると、前章で言及した「タックスシールド」による減税効果を手にすることができず、結果として、資金流出を促進してしまう恐れがあります。また、前回触れた、「ROE」の説明で、「ROE」が株主の「期待収益率」や「資本コスト」の代替指標であるなら、相対的に、企業の総資産を維持するために、過度に株主資本(純資産)に頼る、すなわち「D/E Ratio」を小さくしすぎることは、「期待収益率」を低くし、「資本コスト」を高くしてしまうことになります。
それゆえ、トヨタは1倍近辺が丁度、財務担当者が心地よいポジションであるのだろうと推測することができます。従って、この値を大きく上下に乖離する年度があるとしたら、それは、トヨタの「ファイナンシャル・キャッシュフロー」に異常事態が発生していることを知らせてくれることになります。
FY15において、「D/E Ratio」は趨勢的に安定的です。しかしながら、「Net D/E Ratio」の方は、前年に比べて大きく、ポイントを下げて、0.79となってしまいました。これは、有利子負債による資金調達に比べ、手元現預金が大きく増大したことを意味します。それは、多少使い方が歪んでいるのですが、「ビジネス・キャッシュフロー」の変化を知らせてくれるものです。つまり、FY15は、トヨタは大きく現金を内部に溜め込んでいるのです。
このことを深く掘り下げるのは、「D/E Ratio」の本分ではないのですが、補足的に、「Net D/E Ratio」を観察することで、判明していることです。これは、「意思のある踊り場」が結実し、次の飛躍へのステップのための資金的準備が整ったことを意味しています。
それは、FY15にAA種類株式を発行し、中長期的な開発投資に資金を振り向ける宣言と、財務指標が示す結果が合致しています。
(参考)
⇒「トヨタ、個人向け新型株最大5000億円発行 元本保証、議決権あり 長期投資家取り込む」
⇒「トヨタ新型株に反対 議決権行使助言のISS 株主総会での賛否が焦点」
⇒「トヨタ、新型株の評価二分 株主助言のグラスルイス賛意、ISSの反対受け補足資料」
⇒「トヨタの新型株 米公的年金2位は反対海外での賛否分かれる」
⇒「(ビジネスTODAY)トヨタ総会、議論の場に 過去最長の3時間、新型株の賛成率は75%」
さあ、トヨタのFY16の現金の使い方、来年また一緒に結果を検証しましょう!
ここまで、『9 Matrix Financial Analytics』を使って、トヨタ自動車という企業のビジネススピードから、資金調達戦略の状況把握まで、9つの代表的指標で一気に経営分析(財務分析)を試みました。もし、読者の方々で本ツールを用いて同じような財務分析で、筆者が思いつかない深堀方法を発見された方がいらっしゃったなら、どうか筆者までお知らせ頂きたいと思います。『9 Matrix Financial Analytics』の更なる進化のために活用させて頂き、その活用アプローチについても、本ブログにて筆者の解説付きでご紹介させて頂きたいと思います。m(_ _)m
使用方法や解説はこちらから。
(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。
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