■ なぜ標準化が必要なのか?
ものづくり企業は、大規模な生産設備を構えて、同一規格の製品を大量に生産することで1単位当たりのコストを下げることに成功して、一般大衆にも手が届く価格で多くの消費財を社会に供給することを可能にしてきました。
おそらく、一人の職人が昼夜の区別もなくせっせと作っても、生涯かけても作り切れない大量の製品を、いとも簡単に生産する手段を持ちえたのです。しかもそれら大量の製品を安定した品質で常に供給することができるようになりました。この、大量の製品の生産(供給)を常に安定した品質で継続するところに「標準化」の意味があります。
そもそも、一人一人の人間が集まってわざわざ一つの目的(一つの製品を安定した品質で大量に世間に供給すること)にとりかかるのですから、一人だけでは成し遂げられない大きな成果が得られないと、多くの人間からなる組織は構成されることはないのです。ひとりの人間では成し遂げられない大きなことを集団で遂行するために組織化がなされ、巨大な企業が誕生しました。
まるで一人の人間のように、意識をもっているかの如く、組織が一致団結し、一つの目的を成し遂げるために、整然と活動するためにこそ「標準化」という考え方が必要になります。それは、時間と空間を超越して、何十年も同じ規格の製品を同じ品質で作り続け、日本でも海外でも、きちんと技術継承さえしていれば、国境の枠を超えて同じ製品を提供できる能力を組織に授けることになるのです。
組織が、あたかも一人の職人の手で同じものを作るように、もっと大量のものを安定的な品質で供給できるようになるには、組織を構成するひとりひとりの働きを、調整・統合化することで、整然と仕事がなされるように促される仕掛けが必要になります。その仕掛けの片割れのひとつが「標準化」なのです。
(もうひとつは「ヒエラルキー」であり、「標準化」を語った後に説明をする予定になっています)
現代ビジネスにおいて、消費者のニーズが多様化し、製品ライフサイクルが短縮化され、多品種少量生産が進みましたが、ものづくり企業のDNAにはまだ「標準化」は強く刻み込まれているはずです。それゆえ、筆者は、まだまだ「標準化」について考える重要性は高いと考えています。
■ 標準化とは何か?
「標準化(standardization)」を一言でいうのは大変難しいのですが、あえて要約すると、何らかの標準(standard)を組織内外の人々の間で時空を超えて共有し、自分が属する組織における分業による成果が整然と調和のとれたものになるよう方向付けるものと言えましょう。
ボルトとナットの寸法がきちんとあって固く結びつくように、日本工業規格(JIS=Japanese Industrial Standards)により基準としてスペックが一つに決まっていたり、フランチャイズ・チェーン店のように、どのお店に行っても同じメニューを同じ価格で同じ品質で楽しむことができたり、比較的容易に訓練さえ施せば、誰でも同じ手順で同じ作業結果を生むことができるマニュアルを整備したりと、組織が整然と活動するためには、随所に「標準化」の工夫が見られるものです。
では、どういったものに「標準化」の工夫が施されるのでしょうか。例えばハンバーガー・チェーンのマクドナルドは、空間を超えて(日米で)、時間を超えて(創業者のレイ・クロックがフランチャイズ拡大に汗をかいていた時から現代に至るまで)、人の意識を超えて(アルバイトは次々と変わります)、ほぼ同一の商品を共通の設備で共通のマニュアルに基づいて、お客様に安定したファーストフードを提供しています。
(もちろん、超現在のお店ごとに品揃えのバリエーションがあったり、秘密の裏メニュー対応があったりすることも知っています)
この例でいえば、
もちろん、アウトプットとしての商品(ハンバーガー)、インプットとしての原材料(同じ仕入商品を使用)、労働力としてのアルバイトの仕事っぷり(マニュアルを用いた徹底した教育)、つまりはプロセスなど。会社の機能のあらゆるところに「標準化」はターゲットを持っています。
■ 標準化の対象
(1)インプット
ここでいうインプットとは、組織が調達する経営資源の全てを含みます。「ヒト」の面では、看護師の資格を持っている人、MBAを持っている人、新卒(長期にわたって同質的な社内教育プログラムを受けるという前提の人)などが考えられるでしょう。「モノ」の面では、長期安定供給される材料(同じ型番や品種・材質のものを、同じ仕入先から購入)、専用の加工機や工具などが考えられるでしょう。
「カネ」の面も標準化が簡単な世の中になりました。金融市場が特定の国・地域を除いて、自由な資本移動が保証されているので、世界最安値の金利(厳密には資本コスト)で資金調達することが理論上は可能です。通貨の違いなども、為替予約などの金融商品を用いれば「標準化」されているといってもそう強弁には聞こえない世の中になりました。なんだったら、仮想通貨(暗号通貨)でも。それは言いすぎたでしょうか。(^^)
(2)プロセス
いわゆる作業標準とか、マニュアルがイメージされやすい代表例でしょう。もっとも、定型的な作業という意味では、情報システム内で稼働するプログラムが相応しいかもしれません。同じデータをインプットすれば、繰り返し同じ計算結果を返してくれますから。そもそも英語のプログラムは現代のコンピュータ原語の代名詞になる前から存在する言葉でした。何度も繰り返し行われる定型的な作業という意味では、人間が行うマニュアル化された定型作業も、工場で動いている産業用ロボットも、果ては、デスクトップ上で稼働するソフトウェア(いわゆるRPA:Robotic Process Automation)までも。
(3)アウトプット
これは大量生産の工業規格品が最も想起しやすいものになるでしょう。テレビやエアコン、スニーカーや下着やパンに至るまで。カスタムされた嗜好性の高い自動車や、コンフィギュレーションされたパソコンや、セミオーダーのスーツなど、あれこれ茶々を入れるのは無しの方向で。。。つまりは、製品仕様、スペックという言葉で代表されるものです。
(4)インターフェース
これは、ややアウトプットと意味や領域が被ります。直列型の生産ラインの場合、前工程のアウトプットは次工程のインプットとして、同じ規格のまま受け渡しがされる前提で作業が行われています。では、並列関係の製品規格ではどうでしょうか。CPUとメモリであったり、車台とエンジンであったり、i-Phoneとその上で動くアプリであったり。
プロトコルとかインターフェースがあっていないと、それぞればらばらの場所と人とタイミング(時間)で作られたものが、ひとつに融合または組み合わせで使用に耐えられないのだとしたら、我々の生活は著しく不便なものになります。例えば、EV車のプラグなどは、早く世界統一規格にならないものでしょうか。デファクト=スタンダード、デジュリ=スタンダード、コンセンサス=スタンダード、いずれもこの領域での「標準化」のお話です。
(5)評価基準
これは、プロセスにおける作業の統一化とか、アウトプットの規格化とかに結び付いていくのですが、誰かに定見のある評価基準で常に見張られているとしたら、だれでもその評価基準に沿うように働くようになるのが自然です。例えば、会計的なKPIマネジメントの世界で、ROI(Return on Equity)で事業採算性を横並びで評価する、ROA(Return on Assets)で事業部の業績を評価する、と社内の管理会計規程でいったん定まれば、マージン率を高めるか、目先の出費(設備投資などを先送りする)を抑制する等、ある程度の会計的な誘因で事業活動の運営をコントロールすることができるようになります。
総合商社がリスクアセットをカバーする利益により事業ポートフォリオを管理したり、金融機関の資本健全性評価基準(バーゼル3など)が一度決められたりすれば、リスク資産を手放すようになるなど、評価対象になった組織や人の心理に直接働きかけて、意図する同質的な活動を促進することができるようになるのです。
我々の身近で、我々の生活を豊かにするために「標準化」は人知れず機能しているわけです。
(連載)
⇒「標準化とは - 分業を前提として大きくなった組織を運営するために必要なこと」
⇒「プロセスの標準化 - 作業標準はプログラムとマニュアルとで示す。分業に対する事前調整の手段」
⇒「アウトプットの標準化 - 業績向上のためにはプロセスとアウトプットのどちらの管理が有効か?」
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